故オスマンオール氏の葬儀行われる、墓所は祖父アブデュルハミト2世の傍に
2009年09月26日付 Milliyet 紙


かつてオスマン王家の最後の皇太子だったエルトゥールル・オスマン・オスマンオール氏は、祖父アブデュルハミト2世の墓もあるチェンベルリタシュのスルタン・マフムート2世廟墓地に埋葬された。約5千人の参加した葬儀に、オスマン家の関係者、大臣、大勢の歴史家や学術関係者とともに、イスマイルアア教団の指導者、マフムート・ウスタオスマンオールとターバンとローブを身にまとった同教団のメンバーたちも参加した。

かつてオスマン王家の最後の皇太子だったエルトゥールル・オスマン・オスマンオール氏は、祖父アブデュルハミト2世の墓もあるチェンベルリタシュのスルタン・マフムート2世廟墓地に埋葬された。

イスタンブルで、腎炎と呼吸困難のため亡くなった(オスマン王家)子孫のエルトゥールル・オスマン氏のために、昨日スルタン・アフメト・モスクで葬儀が行われた。葬儀では、エルトゥールル・オスマン氏の妻ゼイネプ・オスマン、ハルン、ビュレント、カユハン、オルハンそしてセリム・オスマンオールといったオスマン王家の関係者が弔辞を述べた。葬儀には、国務大臣兼副首相のジェミル・チチェキ、国務大臣ハヤーティー・ヤズジュ、内務大臣ベシル・アタライ、そして文化観光大臣エルトゥールル・ギュナイ、大統領主席補佐官ムスタファ・イセン、元大臣らの中からアブデュルカーディル・アクス、イスタンブル知事ムアッメル・ギュレル、イスタンブル県警察本部長ヒュセイン・チャプクン、大勢の歴史家、学術関係者、イスマイルアア教団の指導者、マフムート・ムスタオスマンオールとターバンとローブを身にまとった同教団のメンバーたちも参加した。

■財団から特別警備員 

約5千人が参加した葬儀では、警官と並んで、フランスを本拠とするオスマン王家財団の警備員が警備に当たった。葬儀の礼拝は、スルタン・アフメト・モスクのイマームであるエムルッラー・ハティプオール氏が行った。イマームのハティプオール氏は、「オスマン王家の一族が我々のために行った労は明らかであるのに対して、いったいこれ以上、故人に求めるものがあろうとは思いませんが、皆さん、故人との間で清算(helal)をいたしますか(訳注:葬儀で問われる決まり文句)」と3回尋ねた。参列者はそろって「安らかに」と述べた。オスマンオール氏の遺体は、昼時に行われた葬儀の礼拝の後、マフムート2世廟墓地で埋葬された。

■「新しい国家をいつも支えた」

ジェミル・チチェキ大臣は、「オスマン史において、重要な役割を演じた。
あの時代は、大変重要なものを現代に残した(伝えた)。ご家族に、トルコ国民に代わって寛容と、そしてご健勝をお祈りいたします。彼の生涯において、トルコ共和国の不利益になるような行いは全く見られなかった。常に新しい国家(トルコ共和国)を見守った。トルコ共和国を完全に支持した」と語った。

文化観光大臣エルトゥールル・ギュナイは、オスマン王家の人々は、トルコ共和国に対して、ひと時も悪い感情を抱くことはなかったといい、以下のように述べた。「常にそれを口にしていた。最たるものが、エルトゥールル氏のトルコ共和国に関する発言である。聖廟に埋葬されるため、閣議決定が出された。全員が署名した。」

■「オスマン家の長であった」

歴史家であるイルベル・オタイル教授も、エルトゥールル・オスマン・オスマンオール氏が非常に卓越した人物であったとし、以下のように話した。「オスマン家最後の一人」という言い方は正しくない。かつて王子の地位にあった最後の人だった。大変謙虚で、と同時に大変賢く、博学で、誰をも傷つけることのない人物だった。トルコ人の作法とオスマン家の慣習とを守り、大変美しいトルコ語をお話しになるスルタンの孫だった。まさに王家の人だ。順応する人生。これは一つの文化である。」

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:17538 )