30人のPKK兵士「平和の使者」として投降へーオジャランが呼びかけ
2009年10月17日付 Milliyet 紙

オジャラン終身刑囚が自身の弁護士に、「クルド問題解決プロセスが行き詰っている。「平和の使者」を送ろう」と呼びかけたことを受けて、PKK(クルド労働者党)は、(イラク領内にある)カンディル・キャンプとマフムル・キャンプ、それにヨーロッパから30人のPKKメンバーをトルコに送る。

オジャラン終身刑囚の、クルド問題解決プロセスに関する「事態打開のための「平和の使者」提案」を受けて、PKKは、カンディルとマフムルのキャンプ、それにヨーロッパから、異なる3つの「平和の使者」を投降させるためにトルコに送ることを明らかにした。

オジャラン終身刑囚が2009年10月9日に、自身の弁護士に対し、「クルド問題解決策において、軍事的、政治的な面で行き詰りがあり、この行き詰まりを取り除いて、政治的解決の前途を開き、民主的解決プロセスを進めていくために、再度「平和の使者」を使おうと呼びかけを行った」ことが明らかになった。この呼びかけの後、PKKはカンディルとマフムルのキャンプ、それにヨーロッパから約30名の投降を実現させるべく、取り組み始めた。PKKメンバーは1週間以内には投降するだろうと言われている。

オジャラン終身刑囚はケニアで逮捕されトルコに送還されたあと呼びかけを行い、1999年9月22日、PKKに「善意の一歩」として、2つの異なる「平和の使者」を送ることを求めた。(それを受け)、1999年10月1日、アリ・サパン、セイディ・フラット、M・シリン・トゥンチュ、イスメト・バイジャン、ソフベット・シェン、ユクセル・ゲンチ、ヤシャル・テムル、ギュルテン・ウチャルから成るグループが、トルコに入国し、治安部隊に投降、逮捕されてムシュEタイプ刑務所に送られていた。オジャラン終身刑囚の2つめの「平和の使者」の呼びかけには、ハイダル・エルギュル、アリ・シュクラン・アクタシュ、アイギュル・ビダヴ、イマーム・ジャンポラト、ユスフ・クヤック、アイセル・ドアン、ハジュ・チェリック、ディレッキ・クルトが応え、1999年10月29日にウィーンから航路でトルコに入国し、7~15年間の懲役を受けている。

■5年間山にいた

5年間、山岳部でゲリラとして活動したのち、最初の「平和の使者」としてトルコに入り、投降したユクセル・ゲンチ氏は、ラディカル紙に寄せたコメントの中で、この取り組みがトルコに対して真実を問うテストであると同時に、クルド問題解決プロセスを打開するための具体的な一歩だと言えると述べた。

ゲンチ氏は次のように話した。「我々はオジャラン氏の呼びかけに応えたい多く同志の一人として、その切符を獲得するために組織に応募し、選ばれました。山から降りることは、とても大きな決断でした。我々は、国家というものが、自分たちの何倍も大きなものであることを知っていました。トルコに来る時、恐らく武器を手放す間もなく、途中でどこかで何か罠にかかって命を落とすだろうと思っていました。『最悪、途中で死ぬだろう、一番良くて、刑務所に入るだろう』と言っていたものでした。しかし、今回投降するグループにとっては、最悪のシナリオが刑務所に入ることです。更に言えば、刑務所に入ることもないだろうと思います。なぜなら政府はここ1ヶ月間、現行法でも、逮捕者を釈放することが可能だと主張しています。現行の法でそれが可能かどうかは、これから来るグループへの扱いによってわかるでしょう。」

■スィノピでPKKメンバー7人が投降

こうした中で、シュルナク県スィノピ郡で、PKKの山岳部隊から逃げたテロリスト7人が、スィノピ郡で治安部隊に投降した。7人のPKK兵士は、裁判所に送検された。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:17680 )