チュルクDTP党首「PKKは間違った政治の産物」―「クルド問題解決策」国会審議
2009年11月13日付 Milliyet 紙

民主市民党(DTP)党首アフメト・チュ ルクは国会の総会議において、(クルド問題に関する)「民主的解決策」 について所見を述べた。チュルク党首 の演説は以下の通り。

クルド問題のような問題が国会の議本会議において、話し合われること自体、重要なことであると感じています。この問題を国際的なつながりからきり離して考えることは不可能です。私たちは、今日までの共和国の歴史のなかで、もっとも劇的な課題をここで討論しています。国家が過ちと向き合うことが重要なのです。

我々はこのような問いに目を背けてきたか、それとも人々の自由を高めながらやってきたか、(そのいずれかであるかを問えば)今、毅然たる態度をとることができるのです。 異質なものを否定していては、トルコは現在の世界システムの中で搾取される立場におかれてしまいます。

不当な逮捕や圧力、戒厳令、村の焼き討ちのような事件が隠蔽されてきました。反テロ活動という名の元に戦争が遂行されました。これら全ての出来事が、ユーフラテス川の東側でおこりました。犯人がつかまらないまま、多くの人が、新聞記者たちが殺害されました。ビジネスマンたちは処刑されました。ひとつの国の東と西では、信じられないほど異なる感情が生み出されたのです。ひとつの行動で、クルドの人々は無きものにできると考えられました。同化政策が実行されました。アールやデルスィム での事件は、正しく学ばれませんでした。ひとつの民族アイデンティティを基礎とした国民国家形成のための政策が行われました。ムンズル川が血でどれほど赤く染められたのかは公式な歴史にかかれなくとも、今日に至るまで語り継がれています。

抑圧は実施されましたが、問題が解決されたでしょうか?いくつかの政権は過ちを認めましたが、いくつかの問題は、まったく議論の対象となりませんでした。今日、何一つ以前のようにはできないことは、よく理解されねばなりません。

人殺し政策を政府に対し明々白々なかたちで提案したものたちは、民衆に対し、その清算をおこなわねばなりません。PKKは政府による政治の過ちとして出現しました。強圧的で暴力的な統治は反乱を引き起こしました。

この国にはクルド問題が無いと言う人に向けて、言うべき例はいくらでもあります。
マフムト・エサト・ボズクルトのようなやり方で政治を行った人々は決して忘れられることはありません。クルドの人々が平等な国民である、と言う方々はマフムト・エサト・ボズクルトの言葉を読んでみるべきです。少しでも共感する人は・・。
そう、鳥肌がたつようなあの惨状に対して、私たち毅然たる態度がとられることを望んでいます。自分の言語をなきものとされることは一体どれほどトラウマの傷となるでしょうか。皆さん、こういったことをご存知ですか?この問題は、単にトルコ人とクルド人の間だけに存在するものではありません。これは「同化政策に反対する」という問題なのです。(同化に反対することから)クルドの人々が互いに近づいていくことはいい例です。

クルド人の歴史、文化が無きものにされているのは、事実です。否定された言語を守ることは、民族主義的行動ではありません。かつて「クルドという民族はいない」といった人々は、謝罪さえしませんでした。「クルド人という民族はいない。あれは、雪道をすすんでいく際に足元でさくさく、さくさく(カルト・クルト、カルト・クルト)と音を立てる、山岳トルコ人を指す名前だ」とする作り話がでっちあげられました。地域の人々は蒙った不正を(自分たちの言葉で)説明できる検察官を見つけることさえ出来ませんでした。何年もの間、沈黙を守らせる銃口を我々は項首筋に感じてきました。報道の援護もあって、長い間、真実は歪まされていました。

平和は、こんなにも現実的で、手で掴めるものなのです。私たちが過去と向き合えなければ、未来のために共に努力することは出来ません。お互いを信用することは出来ません。東にあろうが、西にあろうが、兵士の棺の届かなかった村は、今日、ただのひとつも残っていないのです。

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( 翻訳者:沓澤実紗子 )
( 記事ID:17869 )