教団の一族、盛大な宴
2009年11月15日付 Hurriyet 紙


ズィラン・シャイフ一族の末裔であるセルマン・バードゥさんが、バトゥマンにあるズィラン廟で結婚式を行い、トルコ各地から1万5千人の人たちがその結婚式へ参加した。

花嫁の故郷サムスンと花婿の故郷バトゥマンのベシリ郡で7日7晩続いた結婚式では、客人たちへ野外に設営された宴の会場で料理が振舞われた。5人の料理人と50人の給仕が働いた披露宴では、肉3トン、米10トン、茹で小麦10トン、豆1トンそして、2万5千本のパンが消費された。

ナクシュバンディー教団の指導者の一人で、2006年に襲撃によって殺害されたシャイフ・スレイマン・バードゥの後を継いだ一族の長男、シャイフ・セルマン・バードゥさんが結婚した。1週間続き、うち4日間はサムスンで行なわれた結婚式の最後は、バトゥマンのベシリ郡に属するオルメギョズ村のズィラン廟で行われた。ずっと以前に祖父シャイフ・ハリトが追放された先であったサムスンのある家族の娘で、建築士であるエメル・アクソイさんと人生を共にするシャイフ・セルマン・バードゥさんの聖廟での結婚式へ、トルコ各地から来た約1万5千人の客人が参列した。この結婚式では、ダヴルやズルナなどの楽器の演奏は行なわれなかった。また祝いのための鉄砲の発砲もなく、ベシリ郡知事アリフ・ヤルチュン氏、ベシリ郡長官サイト・カラブルト氏、ベキルハン区の区役所長セラハッティン・ブラト氏、バトゥマンのいくつかの県や郡の官僚たちも参列した。

大学を卒業し今は建設業を営むシャイフ・スレイマン・バードゥさんの結婚式を取り仕切り、客人たちの世話をしたおじのイスマイル・バードゥさんは、「私たちは結婚式を伝統と慣習によって行いました。ここ何年もの間この土地で行われた結婚披露宴の中で最も大人数の私たちの式は、サロンにも、スタジアムにも入りきらなかったことでしょう。最も理想的な場所の一つである、祖先たち、偉大な人物たちの廟の傍で、楽器も鉄砲も用いない披露宴を行いました」と述べた。この結婚式によって、東と西の融合も叶ったと述べるイスマイル・バードゥさんは、「サムスンで4日間続いた結婚披露宴の後、続きの最後の3日間をベシリで行いました。クルド語の宗教歌や詩で結婚を祝うことができた喜びでいっぱいです」と語った。

■聖廟で大混雑

ズィラン廟で3日3晩続いた結婚披露宴では軍警察が警備に配置された。花婿のシャイフ・セルマン・バードゥさんが廟へ参詣すると、数千人の教団員たちがシャイフ(彼)を宗教歌で迎えるために殺到し、多くの人が潰さる危険な目にあった。サムスンからベシリへ嫁いできた建築士エメル・アクソイさんと夫のシャイフ・セルマン・バードゥさんが参詣のために車で移動すると、何百もの車が後に続き、長い車列をつくった。

エメルさんとセルマン・バードゥさん夫妻は腕を組み廟に入った。シャイフ・セルマン・バードゥさんは、父と祖父の墓のそばで祈りを捧げた。夫妻は廟の出口でも何千人もの人々の拍手と口笛で迎えられ、祝いを受けた。野外に設営された宴の会場では、訪れた約1万5千人の参列者へ羊の煮込み、豆の煮込み、ピラフが振舞われた。

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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:17876 )