デルスィムの生存者語る
2009年11月22日付 Zaman 紙


デルスィムの虐殺における生存者たちが語った。子どもたちの叫び声が天に達した

デルスィム蜂起の血塗られた鎮圧は、オヌル・オイメン共和人民党(CHP)副党首が国会での発言で、それをテロとの戦いの例としたことで、大きな問題となっている。

蜂起の際に(その場に)居合わせた生存者たちは、その日々について涙ながらに語った。1938年にまだ15歳であったシャディイェ・ユクセルさんは、今でもあの苦痛と恐怖で満ちた日々を記憶から消し去ることができないと言う。住んでいた村の先導者たちが殺害されるのを目撃したユクセルさん(85歳)は、弟とともに庭に隠れて助かった。ある軍曹の庇護により助かったサルマン・イェシルダーさん(91歳)は、その日々を「私の家族の手を縛り、撃ち殺した。子どもたちの叫び声が天に達した」という言葉で要約した。

シャディイェ・ユクセルさんは、トゥンジェリ県に属するコジャコチ村で暮らしていたときに苦痛に満ちた日々を体験した。村にやって来た武器を携えた集団が、多くの人々を集めて谷で殺害したことを忘れることができないと言う。この間、弟とともに果樹園へと逃げ込んだというユクセルさんは以下のように話した。「二人の弟と私の3人でした、一人の弟を背負いました。もう一人の手をひいていきました。母は『行きなさい、そうしなければ彼らはあなたたちを殺される』と言いました。重機関銃による機銃掃射の後に私たちは戻りました。赤ん坊や女性たちがみな血の海の中におり、腕の無い人や脚の無い人を見ました。これらをこの目で見たのです。あの日々を説明することはできません。神よ、あのような日が二度とおこりませんように」

サルマン・イェシルダーさんは、デミルカプ村でその日々を体験した。300人が殺害された、彼自身は逃げて助かったと述べるイェシルダーさんは、経験したことを以下のように説明した。

「軍隊がわれわれの村へやって来て、武器を徴収しました。武器を所有する者は、その武器をひき渡しました。武器を持たない者には拷問が行われました。15日後に村の周辺すべてが包囲されました、(それは)騎馬兵士の一師団でした。われわれをひざまずかせ、輪にならせ、機銃掃射を始めました。その後彼らは一時中断しました。私の手は父に縛りつけられていました。父は歯で私の手の紐を解きました。そして「飛べ!」と言いました。私は茂みの裏に隠れました。皆殺しでした。子どもたちの叫び声が天に届きました。逃げました。村に戻るとなにもかもが燃え尽き灰になっていました。村の外にいき、墓を掘りました。どの墓にも4,5人の遺体を埋めました。再び家をつくり、あの日々を語りました。」

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:17926 )