ファズルアリー師「男女混交が大学を嘆かわしい状態にしている」「女は笑み一つで男を虜にしてしまう」
2009年11月21日付 Mardomsalari 紙
【社会部】大学内での男女混交がもたらす悪影響についてこれまでなされてきた意見表明には、つねに何らかの警告が〔陰に〕伴ってきたものだ。しかし、ハージェ・ナスィール大学最高指導者代理の昨日の発言は、実際に思っていることをそのままの形で口に出す、実にストレートなものであった。同師は、若い男女には突発性や肉欲があり、それゆえ彼らの間に正常な関係が生まれることはあり得ない、とはっきりと明言したのである。
ハージェ・ナスロッディーン・トゥースィー大学の最高指導者代理を務めるホッジャトルエスラーム・ファズルアリーは、各大学に「配偶者紹介センター」を設置することを自ら率先して進めてきた人物で、大学を男女別学にする計画にも賛同している。
同師によると、男女の学生が「混交した」状態で大学で学ぶことは、ある種の「交際」を男女間に生じさせ、危険な結果をもたらすという。こうした結果は必然だとされる。というのも、「ネコの目の前に肉を放り投げれば、ネコがそれを食べないわけがない」からだ。
ファズルアリー師はイラン労働通信(ILNA)とのインタビューの中で、大学の男女別学化に関連して、次のように語っている。「古くからの格言がある。曰く、『若い男女が隣り合うことは、綿と炎が隣り合っているが如し』。われわれはこの格言をしっかりと受け止め、『綿』がメラメラと燃える『炎』の横にいることはできない、いればすぐに燃えてしまうと考える。われわれが大学での男女の混交に反対しているのは、こうした理由による」。
同師は、男女がともに学べば、時間の経過ととともに、男女間に正常かつ普通の関係が生まれると考える人々に対して異を唱え、「若い男女には突発的な性格、肉欲的な本能がある。それゆえ、男女の関係が正常化することはあり得ない」と指摘、さらに次のように付け加える。「偉大なる預言者も、異性に視線を送ること、特に若い時にそのようなことをすることは、射損じることのない悪魔の矢を放つことに他ならない、と述べている。預言者のこのことばは、若者が〔異性に〕視線を送れば、そこには快楽が生まれ、彼の心は奪われる、心が〔異性に〕魅了されれば、次に彼の足は罪へと歩き出す、という意味だ」。
ファズルアリー師はさらに、次のように語る。「全国の大学を見てきて何年にもなるが、この間、男女関係をめぐって心痛む情景を数多く目にしてきた。例えば、ある家族が大いなる期待をかけて、子供を大学にやった。勉学に励むよう、学位を取って地元に戻ってくるよう願ってのことだ。ところがだ。子供たちは家族の期待に背き、嘆かわしい状態に身を落としてしまうのが常だ。それもこれも、大学での男女共学に原因があるのだ」。
「男女共学の大学では、男女がクラスで隣り合って勉強するという状態から、すべてがスタートする。女の子は笑みを一つ浮かべるだけで、男の子を虜にしてしまう。〔男の子が〕危険なくぼみにはまってしまう出発点は、こうした関係にあるのだ」。
同師はこう述べ、さらに次のように指摘する。「今、大学で学んでいる学生は、ついこの間まで男女別学の高校で学業に勤しんできた子供たちだ。若気の至りにあるこうした学生たちが、男女共学の自由な雰囲気の中に入ってしまうことは、すなわち『ネコの前に肉を放り投げれば、ネコがそれを食べない道理があろうか』をまさに体現する状況だと言える」。
「あなたにとって大学の状況は遺憾なものだということですね」とのILNA記者の問いかけに、ファズルアリー師は「大学の状況は実に嘆かわしい。宗教的な家庭の子女ですら、不適当な〔男女〕交際に身を落としている」と述べ、さらに「宗教的な家庭出身であれ、非宗教的な家庭出身であれ、若い男女の9割以上が大学で互いに友達になっている。実に危険だ」と続けた。
「イマーム・ホメイニーは革命当初、男女間に壁を設ければ、大学の機能を麻痺させることになってしまうとおっしゃっていたが」との質問に、同師は次のように答えた。「われわれは、男女間に壁を設けることには反対だ。なぜなら、人間は禁じられたことに対して、一層恐怖心を抱くようになってしまうからだ。われわれが言っているのは、壁を設けるべきだということではなく、むしろ大学内で男女を分けるためには、専門的な作業が必要だ、きちんとした調査が必要だ、その上で一部の大学で試験的にこの作業〔=男女別学〕を実施すべきだ、ということである。もし結果が良好であれば、すべての大学で実施すればいいだろう」。
「男女別学の宗教学院を見れば、過ちや罪の危険性は大学よりもかなり低いことが分かるだろう。これ〔=男女別学〕は学業にとって健全な雰囲気を大学にもたらす一助となろう」。
ファズルアリー師はこう述べ、さらに次のように続ける。「私自身、宗教学院で学んだ人物だ。宗教学院に通うと同時に、大学にもよく行った。そこで目にしたのは、宗教学院の雰囲気が大変健全であるのに対し、大学では男が女の髪をいじったり、男が女に媚びを売ったりするような場面だった」。
同師はさらに、「大学で男女別学が行われても、結局男女は社会のどこかで一緒になります。〔男女別学の〕影響がそこで出てしまうのではないでしょうか」との質問には、「否。なぜならどの家庭にも一緒に暮らしている兄弟・姉妹がいるからだ。それゆえ、彼らは異性に関する必要な知識を、〔家庭〕生活の中で正しく会得することができる」と答えた。
「どの家庭にも、遠近様々な親戚・知り合いがおり、そこには男の子も女の子もいる。家庭同士の付き合いやパーティー、結婚式などで、男女間に必要な交流が、時に十分すぎるほど提供されている」。
同師はさらに、「男女の特徴について書かれた本もある。こういった本は、異性との関係について知りたいと思っている若者にとって、極めて有益である。それゆえ、若者がこういった手段を通して異性を知ろうとすれば、問題の発生もかなり減るだろう」と語った。
同師はまた、
イラン国営放送が映画やテレビドラマなどを通して伝えている〔男女〕関係のあり方について批判し、「こういった番組では、我が国の文化制度にそぐわぬ〔男女〕関係が吹聴されている。〔社会に〕悪影響をもたらしているとして、こうした番組に対してわれわれは強く抗議している」と語った。
この記事の原文はこちら
関連記事(アーヤトッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニー「大学は共学であるべきではない」)
( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:17957 )