大アーヤトッラー・モンタゼリー、死去
2009年12月21日付 Mardomsalari 紙
■ アーヤトッラー・ムーサヴィー=アルダビーリー「師を失ったことは、宗教界にとって大いなる損失」
■ ハータミー「偉大なる師は革命の指導者にして礎だった」
■ ハーシェミー=ラフサンジャーニー「師の貴重な作品の数々が、師の不在を埋めてくれるだろう」
シーア派信徒にとって偉大なる
マルジャエ・タグリード(倣うべき権威)であったアーヤトッラー・ホセイン・アリー・モンタゼリーが、この世に別れを告げた。〔息子の〕ホッジャトルエスラーム・アフマド・モンタゼリーはイラン労働通信とのインタビューの中で、アーヤトッラー・モンタゼリーの訃報を認めた上で、「土曜日の夜、アーヤトッラー・モンタゼリーは病気のため死去した」と述べた。
アミーニー師、
ムーサヴィー=アルダビーリー師、
サーネイー師、バヤート=ザンジャーニー師、ショベイリー=ザンジャーニー師、ゲラーミー師、及びターヘリー=ホッラムアーバーディー師などのアーヤトッラーたちが、アーヤトッラー・モンタゼリーの自宅に集まった。
アーヤトッラー・ホセイン・アリー・モンタゼリーは1301年〔西暦1922年〕に〔エスファハーン州〕ナジャフアーバードに生まれた。
同師は革命後、イマーム〔・ホメイニー〕の後継者に選出され、憲法制定専門家会議の議長も務めた。〔※同師は1979年12月の新憲法制定に大きな役割を果たした〕
アーヤトッラー・ハーメネイー・イスラーム革命最高指導者は声明を発表し、偉大なるイスラーム法学者アーヤトッラー・ハージ・シェイフ・ホセイン・アリー・モンタゼリーの死を悼んだ。
イラン学生通信によると、最高指導者の声明は以下の通りである。
慈悲深く、慈愛あまねき神の御名において
われわれは、偉大なるイスラーム法学者アーヤトッラー・ハージ・シェイフ・ホセイン・アリー・モンタゼリーがこの世に別れを告げ、永遠の館に旅立たれたとの訃報を受け取った。
モンタゼリー師は博学なイスラーム法学者であり、傑出した師であった。多くの弟子が、同師の教えを享受した。
亡き師はその人生の多くを、偉大なる故イマーム〔・ホメイニー〕の運動に奉仕することに費やされた。師は多大なる努力を〔革命のために〕注ぎ込み、そのために多くの苦難を耐え忍んだ。
亡きイマームの最期の日々に、困難かつ重大な試練が〔モンタゼリー師の前に〕立ち現れた。このことについて、私は〔同師が〕現世で経験した苦難に免じて、慈悲深く赦されんことを、至高の神にお願い申し上げる。〔※モンタゼリー師がイランにおける言論弾圧や反体制派の大量処刑を批判する言動を行い、1989年にホメイニーの後継者としての資格を剥奪されたことを指す〕
私は師の逝去に際し、ご遺族の皆様、とりわけ奥様ならびにお子様方にお悔やみ申し上げるとともに、師に対する慈悲と赦しを神に乞う次第である。
セイエド・アリー・ハーメネイー
〔後略〕
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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:18115 )