社説:ガザ国境で発射された疑惑の銃弾
2010年01月07日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ガザ国境で発射された内乱を呼ぶ銃弾

2010年01月07日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP社説面

 包囲されたガザ住民に支援物資を運ぶ「生命線」キャラバン隊に起きた事態は残念なものであり、このキャラバン隊への参加者たちに対する扱いはエジプト政府に恥辱の刻印を残した。

 エジプト治安部隊がキャラバン隊のメンバーに投石したり殴りかかったりしようとは、われわれの誰もが思わなかった。包囲下の飢えた人々に連帯しようとするこれらの人々への出迎えが、流血の抗争に変容し、少なくとも20名の負傷者が出て病院に搬送されることになろうとは、予想だにしなかったのである。

 最終的にキャラバン隊は、ラファハ通行所を越えてガザ地区に到着した。ならばなぜ、エジプト政府は始めから文明的かつ人道的なやり方で彼らを遇し、紅海沿岸のヌエバ港からシナイ半島を経てガザ地区へ向かうという、彼らの計画通りの行程を認めなかったのか。

 その答えは、エジプト政府はイスラエルと米国の命令に応じたのだということに尽きる。そうしてエジプト政府は強制されてであれ、自発的にであれ、ガザ住民とガザを統治するハマースとを戦略的な敵に仕立て上げ、おとしめ跪かせるためにできる限りのダメージを与えるべきだと考えたのだ。

 エジプト側は[支援キャラバン隊に参加していた]イギリスのカソリック信徒であるジョージ・ギャロウェイ下院議員に対し、事前の取り決め通りアリーシュに向かうよう命じた。議員は仕方なくこの命令に従ったが、それは彼と、彼とともにキャラバン隊に同伴していた人々の目的が、エジプト政府と問題を起こすことではなく、支援物資をガザ地区に届け、イスラエル政府の過ちを暴くことにあったためだ。イスラエルはガザを攻撃し、住民数百人を殺害し、不当で過酷な封鎖を強いて、尊厳ある生存のあらゆる手段を奪ったのである。

 今回のキャラバン隊およびガザ市民への敵対行為によって、エジプト政府が封鎖の強化に協力しているのみならず、目下敵なしのハマースの成功に一役買い、ガザ地区のパレスチナ人150万人に最大限のダメージを加えようとしていることが確かめられた。

 エジプト政府がイスラエルの治安の門番になり下がったことは残念でならない。エジプトは米国とイスラエルの歓心を得るためだけに、タダでその役を買って出た。イスラエルのネタニヤフ首相やリーバーマン外相が満足するなら、ガザ住民が飢えて死のうがカイロのエジプト政権に害はないというわけだ。

 さらに残念なのは、混乱と抗議の最中、ガザ国境に配備されていたエジプト人警官が何者かに銃撃されて死亡したことだ。エジプトの公営テレビはすぐさま、銃弾は国境の向こう側から飛んできたと報じた。

 同じ信仰と信条を持つ同胞たちへの封鎖に参加するという非倫理的な国家的職務を自国政府に負わせられたこの無辜の警官もまた、アラブとパレスチナの大義を守るために斃れたパレスチナ人、エジプト人、アラブ人の殉教者たちの隊列に加わる殉教者だ。

 高潔なるパレスチナ人がこの死の銃弾を放ったとは信じられない。なぜならこの銃弾は内乱を呼ぶ一発だからであり、それを放った人物はパレスチナとエジプトの両国民に敵意を持ち、包囲され、飢えさせられたパレスチナ人に対する敵意をエスカレートさせる口実をメディアに与え、犠牲者を殺害者へ変えようとしている。これはアラブ諸国の諜報機関がその道のプロとして長けていることで知られているゲームだ。この警官の死を利用してパレスチナ人の肉に喰らいついているメディアは、イスラエルが発砲してエジプト兵たちを殺害したり、あるいはエジプト領空を侵犯してガザ地区の無防備な無辜の民を爆撃したりした時には、一言も発しようとしなかったではないか。

 エジプトの主権はイスラエル人とその犯罪のために利用される一方で、人道支援のキャラバン隊、あるいは一口のパンを求めようとする飢えた人の前に[ヒンズー教の]聖なる牛のごとく立ち塞がっている。

 封鎖を支援し、あるいはそれに声を上げようとしないエジプト政府やアラブのその他の政権内の多くの人間よりもアラブ主義者であることを証明してみせたイギリス人のギャロウェイ議員の言うとおりだ。偉大なるエジプトにはよりすぐれた政権がふさわしい。

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:18214 )