マニサで襲撃されたロマ(ジプシー)の人々、移住へ
2010年01月08日付 Milliyet 紙


セレンディ郡で起きた事件後、ギョルデスに移住させられたロマ(ジプシー)達は、1年間疎外され喫茶店に入れてもらえない状況を請願書で国家機関に訴えたが対策が取られなかったと主張した。

主張によれば、大晦日の夜、「チャヴシュの場」という名前の喫茶店にタバコを手にして入店したブルハン・ウチュクンを喫茶店の従業員らが咎めた。ウチュクンが店内でタバコを吸おうとしたことから起きた口論は喧嘩へと発展した。数時間後に喫茶店を訪れたウチュクンの友人らが窓ガラスを割った。ウチュクンの父親のネジュデト・ウチュクンさん(62)は、事件を知り、心臓発作を起こして亡くなった。ウチュクンと友人らは、火曜日に棒切れを持って喫茶店へ行き、窓ガラス、机、椅子を破壊し、その場にいた従業員と客らを殴った。事件で3人が負傷した。

ロマの人々が「喫茶店を襲った」というニュースは短期間で郡の間に広まった。夜、辺りが暗くなった後、およそ1000人もの人がロマの人々の家に石を投げつけ、一棟に火をつけた。怒り狂った人々は、ロマの人々の4台の車と3台のミニバスを襲い、横転させた。74人のロマの人々は一昨日警察が同道してギョルデス郡に移住させられた。

■ 「1年間の恨み」

ロマの男性はギョルデスの喫茶店で、女性はギョルデスロマ文化協会で二晩を過ごした。事件の発端のきっかけとなったと言われているブルハン・ウチュクンは、「これはタバコの問題ではない」と述べ、説明を始めている。「もともと私は喫茶店でタバコを吸っていなかった。チャイを注文したが、出してくれなかった。喧嘩が起き、頭部を怪我し、頭部を縫った。父親は、警察署の前で心臓発作を起こし亡くなった。1年間、住民はロマの人々を恨んでいる。我々に一杯のコーヒーも出してくれなかった。知り合いの喫茶店経営者は、『あなたがたのことは好きだが、住民は反感を持っている。あなたがたを店に入れるのを嫌がっている』と言った。このようなこともあった。我々も名誉を棄損されたため請願書を提出した。関係者は誰も取り扱ってくれなかった。我々もトルコの旗の下で兵役に服した。身分証明書にはトルコ国民と書いてある。なぜ我々は疎外されているのか」。

ウチュクンが口ごもると、隣の別のロマの人々が付け加える。「山から下りたテロリストたちは拍手されている。我々は生まれ育った土地から追放されている。1000人もの人々が我々の家を襲い、車や家財を焼き、石を投げつけ、銃弾を降らせている。知り合いの病院へ連れて行った友達までもが我々の家に火をつけた。ああ、どこへ行けというのか。武器を持ち山中で彼らのように権利を求めようか。我々は、トルコ国旗を愛している。ここでも我々は歓迎されていないようだ。もうセレンディにも戻れない」。

■ 「ジプシー達に死を!」

協会の前で毛布にくるんだ赤ん坊を揺らす女性たちは、1月5日の夜に起きた事件を次のように説明する。まずセルマ・オゼルさんが口を開いた...。「まず1、2分電気が切られ、その後叫び声が聞こえ始めました。石、銃、斧、棒切れを持った人々がそれらで襲っていました。彼らはドアを壊し、一面を焼き破壊しました。『神は偉大なり』、『ジプシー達に死を』、『こいつらを追い出せ』と叫んでいました。私の子どもは病気です。保健証、薬、すべてが焼けました」。

アイシェ・ウチュクンさんの説明は、人々の背筋を凍らせるほどのものだ。「子どもたちをソファーの下に隠しました。近所の人達の夫までもが襲いに来ました。私の夫は足を怪我しています。ごみでやりくりしています。3人の子供がいます。彼らは、男の子たちにその晩それぞれの紙に署名させました。何人かは白紙の紙に署名したそうです。ギョルデシュに来る他になんら術もが残っていませんでした。セレンディへは戻れません、私たちを殺すでしょう」。

■ 市長:私は受理しない

セレンディの民族主義者行動党(MHP)党員のヌルラー・サヴァシュ市長は、「誰かを差別しようとして、私たちとは違う人々を排除しようとして実行したことは一つもない。事件は完全に、大晦日の夜3~5人の人たちの間で起きた喫茶店での喧嘩の結果起きたのだ。住民を挑発する目的で提出された訴えは受理しない」と述べた。

■ セレンディでの怒りはまだおさまらない

そしてセレンディ…。ここでは依然として怒りがおさまっていない。彼らは、「人種差別主義」的と貶められて不当に扱われる状態にも反感を持っている。事件の発端となった喫茶店の経営者のムサ・ユルドゥズさんと多数の人々の手、腕、頭部の傷は包帯で巻かれている。ユルドゥズさんは、その晩の出来事がロマの人々が暴言を吐いたの機に起こったと主張する。「喧嘩で20の机がこなごなになった。窓ガラスが辺りに散らばった。1台のノートパソコンがなくなった。彼らはレジを壊し、レジに入っていたお金もなくなった。4日後に女性と男性を含む20~30人の集団が釘付きの棒切れを持って喫茶店と周辺を襲い、暴言を吐き始めた。セレンディ全体に言葉にするのもはばかられるほどの暴言を吐いた。その場にいた全員を攻撃した。5,000トルコリラ(約32万円)相当の被害を受けた。彼らの受けた被害は償われるそうだが、我々の受けた被害には誰が対応してくれるのか」。

セリム・シャーヒンさんも長年内心では怒りや憤りを感じていたことを明らかにし、「20年もの間みんながこいつらに心底うんざりしてきた。辺りで暴言を吐き、盗みを働いた。貧乏だったはずの家から出てきた多数のテープレコーダー、証書、タバコはどこから出てきたものなのか。セレンディの住民は人種差別主義者ではないがここまで来てしまった」と話した。

■ アルンチ副首相:意図的な移住ではなかった

ビュレント・アルンチ副首相は、マニサのセレンディ郡で大晦日の夜に禁煙法のせいで起こったとされ、その後再発した事件に関して、「ロマの人々に対して、意図的な移住、威嚇や浄化の考えがあったとは信じがたい。検察が捜査している。これは集団的な行動でも組織的な行動でもない。民族主義者行動党がこれを組織したとは考えていない」と述べた。

■ ウスキュル氏が命じた

トルコ大国民議会(TBMM) 人権調査委員会のザフェル・ウスキュル委員長は、マニサで起きた事件の後ロマの人々が強制的に他の郡に移住させられたことについて、マニサ県庁に報告書の提出を求めた。一方、平和民主党(BDP)党員のハスィプ・カプラン氏とその仲間は、ロマの人々の問題の調査のために国会調査案を提出した。

■ プレハブの家の約束

マニサのジェラッティン・ギュヴェンチ県知事は、昨日(6日)、現代ロマ協会アクヒサル支部のエルドアン・シェネル支部長、県警のアデム・アイデミル本部長、トルコ赤新月マニサ支部のジェンギズ・ユルダベクチ支部長、被害者の中から選ばれた3人のロマの人々らと会合を行った。ギュベンチ知事は、会合の後行った会見で「赤新月代表部は、マニサの大きな郡で、つまり仕事の可能性がある場所で、早急に20棟のプレハブの家を建てることを約束した。彼らが子どもたちを早急に学校へ通わせるようにさせる。一定期間の食糧援助を行う予定だ。この先仕事に就く人々のために必要な手立てを取る予定だ。ロマの人々との間で問題が起こったことは一度もなく、(そこの)住民ともだ。ロマの人々は、この国のふつうの国民である。現在、現代ロマ協会アクヒサル支部のシェネル支部長がロマの家族たちと面会し、彼らがどの郡に移住したがっているかを我々に知らせてくれるのを待っている。協会とも共同で働く予定だ」と話した。ギュベンチ知事は、「事件は人種差別主義とは何の関係もなく、社会的な次元の問題である。その解決のためにも一歩を踏み出した」と述べた。

※喫茶店でタバコを吸い、事件発端のきっかけとなったと主張されているブルハン・ウチュクン(写真左)は、「タバコは吸わなかった。チャイを注文したが、出してくれなかった。喧嘩が起き、頭を怪我した」と述べている。

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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:18224 )