「夫を誇りに思う」―アフガニスタンCIA支部へのヨルダン人自爆テロ犯のトルコ人の妻
2010年01月08日付 Milliyet 紙
2009年12月31日にアフガニスタンCIA支部への自爆テロを行ったフマム・ハリル・アブ・ムーラル・エル・バラヴィのトルコ人の妻であるデフネ・バイラクさんは、「夫はこのように、戦いで非常に大きな作戦を実行したのです」と語った。
2009年12月31日にアフガニスタンCIA支部を攻撃し、「フマム・ハリル・アブ・ムーラル・エル・バラヴィ」として知られる自爆犯は、トルコへの出入国の際には「ホマム・ハリール・モハンマド・アブマッラール」という名前のヨルダンのパスポートを使用していたことが明らかにされた。「デフネ・モハンマド・アブマッラール」という名前のパスポートを所持していた自爆犯のトルコ人の妻のデフネ・バイラクさんは、事情聴取ためイスタンブル県警本部テロ対策本部に召喚された。
アブマラルのトルコ人の妻であるデフネ・バイラクさんは、ファーティフにあるMAZLUM-DER(人権と抑圧された者たちのための連帯協会) の前で新聞記者らに説明し、「夫が拘束された際に、ヨルダン情報機関との合意があり、その後アフガニスタンに送られた」という主張を強調するために次のように語った。
「昨年の1月19日にヨルダン情報機関の人々が我が家に来ました。約20人いました。その後夫と家にあったパソコンをもって行きました。夫はいつも討論誌のために記事を書いていた一人でした。このためパソコンも持っていったのだと思いました。3日拘束された後釈放されました。夫は昨年の3月18日にパキスタンに行きました。私たちには、教育を受ける目的で行くのであり、パキスタンは外科部門が非常に良いので医学の専門教育を受けるために行くのだと言っていました。『私が行ってみて試してよければあなたたちを呼び寄せましょう』と言っていました」
■「遺言を送る」
バイラクさんは、夫の友人の一人が電話をかけてこの事件を彼女に話したと説明し、子どもたちが家にいたので、あまり感情を出せなかったと述べて、「電話をしてきた人は、私に耐えてくださいと助言しました。後で夫の遺言と手紙を送ると言いました」と話した。
バイラクさんは、夫との最後の話し合いで何を話したかという新聞記者らの質問に対して、次のように話した。「私に最後にかけてきた電話は、パキスタンの電話番号でした。事件は実際パキスタン国境で起こりました。おそらく最後にアフガニスタンに移ったのだと思います。電話では夫はいつもトルコに行くと話していました。更に夫はトルコ国籍を取得するつもりだとも話していました」
ご主人がこのような行動を取るとは予測することはできましたか?今どのように感じていますか?」という質問に対しては、「私は夫の性格を知っていました。しかしこのような事を行うとは想像だにしませんでした。事実、最初に知らせを受けたときは非常に戸惑いました。なぜならば絶えず私たちに「トルコに行く」と行っていたからです。しかしあのようなことを起こしました、なぜなら夫は信念の人でしたから。あの地でどのようにして、こうしたことを実行しようと決意したのか、私は分かりません。夫を誇りに思っています。このように戦いで非常に大きな作戦を実行しました。願わくば、殉教であればアッラーが夫の信仰の証を受け取ってくれますように」
「ヨルダン情報機関とCIAのために、一方ではアルカイダのために働いていたといわれています。これに対してはどう思われますか?」という質問に対してバイラクさんは、「夫がスパイであったということはありえないと思います。なぜならば夫はアメリカが大嫌いで、アメリカのスパイになどなれません。夫はしかしアメリカとヨルダンを利用したということならありえると思います」と話した。
■チャットで出会った
デフネ・バイラクさんは、昨日(7日)事情聴取を受けるため、ヴァタン通りにある警察の建物を訪れた。5時間の事情聴取を受けたバイラクさんは、アラビア語を学ぶためにアクセスしたインターネットのサイトでチャットをしている時に、夫と知り合ったと話した。
バイラクさんは、結婚後はヨルダンに移ったと語り、「子どもが2人生まれました。幸せな人生でした。私は10月26日にトルコに戻りました。彼も来る予定でした。我々はイスタンブルで生活を続ける予定でした」と話した。
■イスラム大東方攻撃隊(İBDA-C)の雑誌に執筆していた
デフネ・バイラクさんが、イスラム大東方攻撃隊の雑誌として知られる、週刊政治雑誌「バラン」に執筆していた記事は次の通り。
- 第52号(2008年1月3日に出版)で「イスラムの敵ベーナズィール・ブットーは自業自得!」という題のバイラクさんの記事がある。この記事でバイラクさんはベーナズィール・ブットーをイスラムの敵とし、要約すると次のように述べている:「選挙プロパガンダで、アルカイダのリーダーであるシェイフ・ウサマ・ビン・ラディンを自らが捕まえると約束しました。ああ哀れなブットー女史!残念ながらあなたは『アッラーの獅子』を捕まえられずに、神があなたを捕えてしまった。事実、誰かがアッラーの奴隷に敵対したならば、確実にアッラーも彼らの敵となるのです」。
- 第51号(2007年12月27日に出版)では、「2007年:パレスチナ人の抑圧が合法化された年」という記事では次のような文章が掲載された:「2007年、パレスチナ人は笑顔を奪われてしまった。彼らはまた運命と向かいあわされたのです。ユダヤ人の犬たちの拷問にさらされているのに、またもや皆、単に傍観者にとどまるか、あるいは安っぽい非難を向ける事を好むのです。
- 第49号(2007年12月13日に出版)でデフネ・バイラクさんは「各国政府の背徳行為」という題の記事で、タイイプ・エルドアン首相が元アメリカ合衆国大統領ジョージ・ブッシュと握手している写真を載せ、その下に次のように書いた:異教徒を友とするものは誰でも異教徒となるのです。彼らの関係が単によく見られようという思いからだとしてもです!」
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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:18226 )