移住を余儀なくされたロマ、同郷の友にメッセージ
2010年01月10日付 Radikal 紙

移住を余儀なくされたロマたちの一人、スレイマン・コジャさんがラディカル紙の仲介により友人のビラルさんに送ったメッセージが昨日(9日)届いた。そしてビラルさんからこのような返事が届いた。「戻ってきてほしい」

まずはギョルデスへ、その後サーリフリへと移住させられたスレイマン・コジャさんが、セレンディで別れた友人で修理工のビラル・ギルギンさんへラディカル紙の仲介で送ったメッセージがギルギンさんの元へ届いた。ギルギンさんは昨日ラディカル紙を読んだ後、友人のコジャさんに電話をし、「とても悲しいです。戻ってきてほしいと思っていました。しかし、こうなってしまっては、サーリフリへあなたのいれるお茶やスープを味わいに行きましょう」と話した。

マニサ県のセレンディ郡からギョルデス郡へと移住させられたロマたちの一人であるシュレイマン・コジャさんは、強制移住の一団の中で最年長の人物であった。地域で最も愛され、尊敬されていたロマのコジャさんは、ギョルデスで残してきた思い出に心を痛める一方で、ラディカル紙の仲介により友人で修理工のビラルさんへメッセージを送った。身に降りかかった数々の事件により車を燃やされたコジャさんは、友人で修理工のビラルさんが昨日のラディカル紙の見出しを読んだ後に自分に電話をかけてきたことを述べ、その時に話したことを以下のように伝えた。

「ありがたいことに電話をくれました。彼は『(燃やされた)車を見てとても悲しく思い涙が出ました。このようなことが起きなければよかったのに。阻止することができませんでした。サーリフリへの引っ越しが済んだらあなたの作ったお茶やスープをいただきに行くつもりです』と言いました。私も怒ってはいないことや、子どもの時からずっと一緒に育ってきたこと、そしてセレンディの人々に対して怒ってなどいないことを話しました」

修理工のビラルさんも彼に電話をかけたと言い、コジャさんに話したことをこのように説明した。「新聞を通じてメッセージを送ってくれたようですね、兄さん。ありがとう。あなたたちが戻ってきてほしいと思っていましたが、しかしもはやサーリフリへ落ち着かれたら、お茶や料理を食べにあなたのところにいきます。」

セレンディでは、何年も平穏に暮らしてきたと述べる修理工のビラルさんは、郡内におけるリンチにまで達するような変化を以下のように話した。「私は修理工です。彼らの仕事も引き受けていました。彼らの悪いところなど一度も見たことはありません。お金だってちゃんと支払ってくれました。スレイマンおじさんのことは小さい頃から知っています。彼以上に素晴らしい人はいません。」

■7世帯がサーリフリへ移住

新年の夜に「お茶をださない」、「このカフェは禁煙だ」というやりとりから始まったけんかとそれに続く事件の結果、マニサ県のセレンディ郡で暮らすロマの13世帯が同じマニサ県のギョルデス郡へと強制移住させられた。うち7世帯がマニサ県知事によって借り上げられたサーリフリの住宅へと昨日引っ越した。ロマ市民たちが暮らすシェヒットレルやオズユルトゥ、セイランテペ街区では、(移住した)28人が、ラッパと太鼓によって迎えられた。ギョルデスから来たロマたちは、新たな隣人たちと長い間、太鼓と笛の伴奏で踊った。この歓迎の催しの際、ロマたちは「セレンディをぶっつぶせ」というスローガンを叫んだ。ロマの家族たちに対し、サーリフリの役場から炭や木材の援助が行われた。

セレンディ市民のほうはいまだ緊張した面持ちである。郡を訪れる新聞記者たちに非常に敵対的だ。この町が「人種差別主義者」として報道されたことを不愉快に思っている。彼らの間でも、「戻ってこさせよう、こさせまい」と、論争している。しかし皆が一致する点は、「それは、戻ってきたところで、もはや以前のように平穏な環境はない」ということだ。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:18230 )