ローマ教皇襲撃犯メフメト・アージャ、30年の刑期をおえ、ついに釈放(2)
2010年01月18日付 Radikal 紙

30年間の刑務所生活を昨日終えたメフメト・アリ・アージャは、有名な青いセーターを羽織り、釈放された。彼は一晩464ユーロ(約59,000円)の豪華なホテルの部屋に向かった。ギュルハーネ軍医アカデミー(GATA)で「不適」との報告書が出されたアージャは、英語で声明を公表した:新約聖書は誤りでいっぱいだ。私は完璧な物を書くつもりだ…。

1979年にミッリエト紙主筆であったアブディ・イペキチ氏を殺害し、1981年にローマ法王の暗殺を図ったメフメト・アリ・アージャはイタリアとトルコで約30年投獄されていた。アージャはGATAから「兵役にふさわしくない」との報告を受けると、有名な青いセーターを羽織り、ドラムとオーボエの演奏に合わせて出てきたスィンジャン刑務所(F型)から、豪華な車で一晩464ユーロのホテルの部屋に向かった。弁護士たちは、「ホテルの料金は我々が支払いました」と言い、この贅沢への未知のスポンサーについて「誰かが30年の沈黙の報酬を払っているのか」という問いが浮かび上がってきた。アージャはホテルに到着すると詰めかけた記者たちの中で、英語で『私は神でも神の息子でもありません。世界と人類の終焉は今世紀に来ることを告げる』と述べた。

アージャは1月20日にアンカラで会見を行い、新たな生活に関する計画を発表する予定だ。

■ 初の自由の日は青

アージャは約30年続いた刑務所生活を昨日の朝終えた。釈放の手続きは8時40分に完了した。刑務所の職員に「あなた方にお許しがあるよう」と述べたアージャは、9時20分頃弟のアドナン・アージャ氏、親戚、友人が乗ったイスタンブルナンバーの豪華なメルセデスとアウディの車で刑務所を離れた。アージャは刑務所から離れる際、「自由のシンボル」とする青いセーターを着ていた。アージャは、車が刑務所の門から離れる際、右手で拳をつくりポーズをとった。アージャの出発のため親戚はドラムとオーボエを演奏させた。

■ 弁護士が解雇された

釈放の手続きが行われる一方で、アージャの弁護士のハジュ・アリ・オズハン氏は、記者たちに最も近い軍支局に行くようにという旨の書類が来たことを明らかにした。オズハン氏の会見の際に、アージャの弟のアドナン・アージャ氏の書面での発表が行われた。アドナン・アージャ氏は、オズハン氏の会見により兄の生命の安全が危険にさらされ、今後弁護士をユルマズ・アボシュオール氏とギョカイ・チャーラルアルプ・ギュルテキン氏にする、と発表した。

■ ハリウッドからオファー

弁護士団はアージャの英語で書いた封筒を記者たちに発表した。弁護士アボシュオール氏はアージャにハリウッドから200万ドル(約1億7900万円)で俳優のオファーが来ている事を公表した。アドナン・アージャ氏は、兄が多くの痛みを味わったと述べ、「これ程の痛みをあなた方が与えたため、彼は『自分はメシアだ』と言いだしたのです。このような痛みが、人を預言者にするのです」と述べた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
この記事の、後半部分はこちらです
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:白石百合子 )
( 記事ID:18288 )