コラム:オバマ政権の中東問題への対応批判
2010年01月21日付 al-Hayat 紙

■ 躊躇する実用主義

2010年01月21日付アル・ハヤート紙(イギリス)HPコラム面

【ズハイル・クサイバーティー】

インド、パキスタンの「アル=カーイダ」勃興が新たな戦争の可能性につながるとのゲイツ国防長官による警告は、両国による核戦争の恐怖を広めると共に、過激派の闘争心をくすぐり煽っている。しかし、この警告が前提としているのは、アル=カーイダ側の悪意である。パキスタンの核兵器が「過激派の手に」落ちるのを阻止しようとすると、その戦争を避けるための手段とは、最終的に同国をアフガン化計画へと導くものになるのではないか。そのような議論が出てくるはずだ。

ニューデリーのゲイツが、ムンバイ爆破以来のインドのイスラマバードに対する忍耐を大げさにほめちぎったのは、パキスタンへの圧力を実質的に高めるためだ。ワシントンは、核を保有するムスリム国家の命運についてのあからさまな野心を正当化する口実を常にもっている。

国防長官は、アル=カーイダの脅威を誇張したのだろうか。ここで思い起こされるのは、イエメンで現地のカーイダと戦端を開き、空爆により彼らを放逐する前に行われたアメリカの警告である。アル=カーイダの同盟者たるターリバーンと対峙する際、パキスタン領土内で同様の戦闘が行われた事も思い出される。ジョージ・ブッシュ政権第二期の終わりにはアル=カーイダへの攻撃は控え目となり、オバマ政権初期に突如伸びたという事も指摘される。

アル=カーイダの脅威を「誇張」するのは、一年間のオバマ政権による実用主義が生み出した弊害から目を逸らそうというアメリカの試みと解釈される。しかしその結果、ブッシュ時代同様に、ムスリム国家がつけを払わされる。テロに対するアメリカの「宇宙」戦争といったイメージが未だにネオコンの脳裏には渦巻いているかのようだ。イエメンが彼らのリストに加えられた。アフガニスタンが最も顕著な例だが、イラク現政権に対するアメリカの支援は、どうみても統一国家再建計画を奨励していない。

バグダードがイスラマバードやカブール同様ワシントンの同盟者であるのに対し、サナアは米政権の友好国と同盟者の中間程度の位置づけである。米国はまだ、武力闘争に緊急解決策を見出そうとしているが、イエメンの戦闘は長期の内戦でもある。合衆国が自国内の問題に専心すれば、元の木阿弥で堂々巡りを続けるだろう。

概観しただけでも、オバマ政権は国際問題、特に中東域内の危機への対応をためらっていると言える。重く、憎むべき遺産からの脱却という希望をホワイトハウスにもたらした米大統領だが、彼の誓約に対する反動が予測される。カブールの腐敗を見過ごしながら、ターリバーンの人気を落とすことが可能だろうか。リチャード・ホルブロック(オバマ政権パキスタン・アフガニスタン問題特別代表)の十八番である非難の交響曲をワシントンが繰り返すことにより、あるいは、アメリカの向う見ずな空爆により、過激派に肩入れするイスラマバードを弱らせることができるだろうか。

ワシントンがイラクとの同盟は安泰であると保証するだけで、アラブ主義を放棄してはいないイラク近隣国を安心させられるだろうか。

イラクに関するかつてのアメリカの対応は、メソポタミア国家にイランの触手が伸びることを見て見ぬふりをして自らの目的を達そうとしているのかとイラク近隣国の疑念を煽ったものだが、核問題に関しテヘランに寛容なオバマ時代の対応は、アラブ湾岸諸国の疑いをいや増すこととなった。ホワイトハウスが臆面もなく忘れたふりをするイランに対する制裁の期限というのはどうなったのか。

アメリカあるいはイスラエルによる対イラン戦争など、その代償が分かっているだけに中東の誰も望んでいないのは明らかだ。しかし、イラン制裁に対しためらいがちな、あるいは寛容な政策は、テヘランの核プロジェクトを助長させ、アラブ諸国の安定を揺るがす更なる問題を誘発することも確かである。イランの口実は常に、傲慢なアメリカを食い止め戦うということなのだから。

アメリカの「都合」で過激派の意図を強調するなら、テヘランに対する実用主義と同じくイスラエルに対するオバマの躊躇もまた危険である。ミッチェル特使がいかに歴訪を重ねようとも、ワシントンのためらいは、PAに対するイスラエルの挑発を増大するものでしかない。そして、いかにアメリカの誓約が良心的なものであっても、PA抹殺を主張するイスラエルの前では、ハマースの過激さを増すものでしかない。

躊躇に終始した一年、各地の戦争は続き、テロリストは意気込みを新たにする。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:18310 )