バルヨズ計画捜査で、退役将校ら49人緊急逮捕!
2010年02月22日付 Hurriyet 紙

朝方始まった検挙の嵐は、退役将校にまで及んだ。退役将校であるイブラヒム・フルトゥナ元空軍大将 やオズジャン・オルネキ元海軍司令官、エルギン・サイグン元第一陸軍大将が逮捕された。

 イスタンブル検察庁の指示で朝方アンカラの約20箇所で警察の一斉捜査が行われた。バルヨズ・クーデター計画に関する捜査による逮捕者の中には驚くべき名前もあった。イブラヒム・フルトゥナ元空軍大将がアンカラで逮捕された。エルギン・サイグン退役大将やエミン・キュチュククルチ退役大佐、オゼル・カラブルト退役海軍少将はイスタンブル警察本部へ移送された。

■クーデターの日誌を書いた司令官
 「アイ・ウシュウ(月光)」と「サルクズ(金髪の娘)」と名付けられたクーデター計画を明らかにした日誌によって話題になったオズデン・オルネキ元海軍司令官も逮捕者の中に加わった。

■前任の第一陸軍司令官も逮捕
 フルトゥナと同時期に第一陸軍司令官を務めたエルギン・サイグン退役大将も逮捕された。サイグンはイスタンブル警察本部に移送された。エルギン・サイグンは2009年8月に退職していた。

■宿舎で騒動
 逮捕劇の後、イスタンブルの第四レヴェント地区にある士官学校の宿舎の入り口で騒動が起きた。一部の司令官の家で捜査が行われたという情報を得た新聞記者らが第四レヴェント地区にある士官学校の宿舎の入り口に押し寄せた。警察車両の宿舎への出入りが目に付いた。

■オジャランを移送した司令官
 また、逮捕された退役軍人の中にはエンギン・アラン中将とアイハン・タシュン中将がいたことが判明した。トルコ国軍強化財団会長のエルギン・アラン退役中将は、ブルサで警察によって逮捕された。アランはブルサ検察庁で手続きをした後、部隊によってイスタンブルへ移送される。エンギン・アラン中将はPKKの指導者アブドゥッラー・オジャランをケニヤからトルコへ移送する軍事作戦に、トルコから指示を出していた。

■検察はイスタンブルへの移送を望んだ
 フルトゥナ、アラン、タシュはイスタンブル主席検事の要請でアンカラで逮捕された。司令官たちは検査のために法医学センターへ送られた後、イスタンブルへ発った。手続きを済ませるためにテロ対策本部へ送られたフルトゥナ退役大将と4名は、2台の車両でエセンボア空港へ移送された。彼らはその後、13時40分の定期便の飛行機でイスタンブルへ送られた。

 アンカラ・テロ対策チーム によって逮捕されたイブラヒム・フルトゥナ退役大将を含む7名を乗せた定期便の飛行機は、14時35分頃にサビハ・ギョクチェン空港に着陸した。彼らは15時30分頃にベシクタシュ裁判所に到着した。

■シュハ・タンイェリを逮捕
 参謀本部戦略調査・研究センター(SAREM)の元所長であるシュハ・タンイェリ退役准将の自宅でもバルヨズ・クーデター計画に関連した捜査が行われた。タンイェリは夕方逮捕された。

■大佐10名を逮捕
 トルコ国営テレビ(TRT)2の報道によると、7名が現役で7名が退役した14名の将校や下士官が逮捕された。3名の大佐が逮捕され、7名の大佐が捜索されている。

■アンカラ県知事「リストが存在する」
 アンカラ県知事のケマル・オナルは、「指示はイスタンブルから来ている。検察官がリストを持っていて、それに従って検挙が行われている」と述べた。

■イズミルにいた大佐、イスタンブルへ移送される
 エルゲネコン捜査の一環としてイズミルでウミト・オズジャン退役海軍参謀大佐が逮捕された。イスタンブルでエルゲネコン捜査を行っている共和国検察官の要望でイズミル警察が早朝ウミト・オズジャン退役海軍参謀大佐を自宅で逮捕した。ボズヤカにあるイズミル警察テロ対策局本部に送られた彼の周囲には常に家族がいた。オズジャンの自宅ではいかなる捜査も行われず、事情を聴くためにイスタンブルへ移送された。

■士官学校は警戒態勢
 同じころ、宿舎への入り口にある士官学校第二衛兵所で異様な騒動が起きていた。11時前後に私服警察官を乗せたジープ1台、自動車1台とワゴン1台が正面門にやって来た。車両はしばらく中に入れなかった。その後、私服警察官らが車から降り、軍人らと話をする様子が見られた。兵士と警察官の間でのやりとりはおよそ10分間続いた。車から降りた私服警察官たちは歩いて衛兵所を通り中へ入った。警察官たちが降りた車はバックで戻った。このとき一人の軍関係者が、騒動を撮影していたドアン報道通信社のカメラに撮影しないよう要求し、中で起きている騒動には関係がないと述べた。

■バルヨズ・クーデター計画
 この逮捕劇はタラフ紙は、クーデターのために環境を整えるために練られた新しい作戦を暴露した(ことに端を発する。「バルヨズ安全保障行動計画」という名前の下に書かれた「チャルシャフ(スカーフ)」、「サカル(あご髭)」、「オラジュ」、「スガ」と名付けられた計画によると、スルタン・バヤズィト・モスクとファーティフ・モスクで金曜日に爆弾を使った襲撃を準備し、エーゲ海でトルコのジェット機を墜落させ、公正発展党の無力さを見せつけようとしていた。

 (こうした攻撃による)混乱の末に、11ページに及ぶ「バルヨズ計画」が実行に移されるはずだった。新聞の報道によると、当時の第一軍司令部チェティン・ドアン大将の指示を受けた兵士たちは、クーデターに抵抗するであろう20万人をスタジアムに詰め込むことを計画していた。その上、クーデター内閣を作ることさえ想定していた。計画に署名したと主張されているドアン大将は、「トルコ国軍では全ての規模での計画を試すために、机上作戦、作戦立案訓練や演習が行われるのは当然な行為です」と述べている。

 参謀本部はこの件に関する文書による声明で、「第一軍司令部によって2003年の3月5~7日の間に実行された作戦訓練に関して様々な疑惑や評価がメディアで流れている。知性と良心のある人であれば、こうした疑惑を認めることはとうてい不可能だ。」と述べた。

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:18527 )