召還の在米トルコ大使、1カ月は復帰なし―「アルメニア虐殺」決議をめぐり
2010年03月10日付 Milliyet 紙
アメリカ合衆国議会下院が1915年の事件を「いわゆる虐殺」と定義することを見込む法案を可決したのを受け、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相による、「今後の帰趨が判明しない限り我々の大使をアメリカへは派遣しない」との発言は、アメリカ―トルコ関係において起こっている「緊張」を再度明確なものとした。
■ ダヴトオールの接触
トルコ政府によるアメリカへの対応において注目は、第一にこの決議が下院のナンシー・ペロシ議長により本会議へと提出されるか否かへと集まっている。第二には、アメリカ合衆国バラク・オバマ大統領が4月24日に1915年の事件に関し「虐殺」の単語を用いるか否かに焦点が当てられた。ナームク・タン在ワシントン・トルコ大使は、3月末までアンカラに滞在すると予想されている。
トルコ政府によるアメリカへの対応において最終修正が加えられる一方、エルドアン首相がリヤドでこの件に関し行った会見はタン大使がアンカラに長期間滞在するとの解釈を生み出した。外務省高官らは、トルコ政府によるアメリカへの対応がアブドゥッラー・ギュル大統領、エルドアン首相、閣議、そして野党といった様々なレベルで行われる協議の後に最終的な形をとる予定であるとした。そのため、タン大使がアンカラに3月末まで滞在することは適当であろうとした。
こうした状況下でタン大使と初めて一昨日に顔を合わせたアフメト・ダヴトオール外務大臣は、会談後、現状認識を前日エルドアン首相、ギュル大統領と電話で伝えた。ダヴトオール大臣は、昨日(9日)もトルコ大国民議会外務委員会、トルコ大国民議会トルコ―アメリカ友好グループのメンバーらと会食協議にて顔を合わせた。外交筋は、この協議は継続するだろうと述べた。
■ アクギュナイは22日、シェンソイは11日
トルコは、いわゆるアルメニア人虐殺問題を原因にこの数年でアメリカ、カナダとの間に重大な緊張を経験した。カナダのスティーヴン・ハーパー首相が、アルメニア人が1915年に受けた「恐ろしいまでの苦痛」に言及する会見を行ったことを受け、ラフェト・アクギュナイ在オタワ大使を2009年4月22日にアンカラへと召還した。元・在ワシントン・トルコ大使のナビ・シェンソイは、2007年10月11日に、アメリカ合衆国下院外交委員会にて1915年の事件に関するアルメニア人の主張を含む法案が可決された後アンカラへと召還された。元大使は2007年10月22日にワシントンへと戻った。
■ チャーラヤンは訪米しない
いわゆるアルメニア人虐殺法案がアメリカ合衆国外交委員会で可決されたことによる、トルコ―アメリカ関係においての初の具体的な影響は貿易関係で起こった。トルコ―アメリカ間の貿易関係の発展のため作成が目指されていた「モデル共同」計画のためワシントンの訪問が予定されていた対外貿易の責任者ザフェル・チャーラヤン大臣は、訪問を中止したと明かした。チャーラヤン大臣は、「この計画にけちがついた。アメリカがこのミスを改めるため修正を試みない限り計画の進展はない」と話した。
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( 翻訳者:岩根匡宏 )
( 記事ID:18661 )