アルメニア追悼をめぐりタクスィムで緊張
2010年04月25日付 Yeni Safak 紙

タクスィムで行なわれた「1915年アルメニア追悼式」で意見を異にする二つのグループの間で緊張が走った。ひとつは作家、学者、新聞記者と芸術家のグループで、夜にタクスィム広場に集まった。1915年に起こった出来事で命を落としたアルメニア人の追悼を望むグループは、対立する意見の約40人のグループの抗議にあった。「私達は、ムスタファ・ケマルの兵士である」と「愛せ、さもなければ出て行け」といったスローガンを掲げた。ある抗議者は活動家達を指し、グループの「これらは皆をオギュン・サマストにするだろう」というスローガンを掲げたのが注意を引いた。

■国民は反感を示した。

アルメニア人の追悼を望んだグループに対して、一部の市民は強い反発を示し、グループがいるところに向かおうとした。事件の拡大を受けて、警察は非常線をはり、衝突を回避した。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:18962 )