ゾングルダク炭鉱事故、朗報を待っていた家族の元に遺体が戻る
2010年05月21日付 Radikal 紙
月曜日以来炭坑の前で待ち続けていた被害者の遺族は、被害者が元気で地上に救い出され、彼らに抱きつく事を夢見ていたが、その夢はかなわず、遺体を受け取る事となった。
ゾングルダク県立病院に搬送された28人の遺体は検視解剖された。その後、順に中に通された炭坑労働者の遺族は遺体を確認した。炭坑技師のコライ・ケバプチュさんの遺体がトルコ国旗に包まれ、遺体安置所から最初に出棺した。
■3人は身元確認できず、2人は不明
次に、アデム・チェンゲルさん、エンギン・デュズチュックさん、エルマン・チャイルオールさん、ハサン・アクババさん、ハサン・エルシンさん、ヒュセイン・アルスランさん、イルケル・ベベッキさん、イスマイール・フィダンさん、カーディル・オトギュチュさん、サブリ・オズダルさん、サメット・アイドゥンさん、セルカン・ユルマンさん、シャーヒン・アタマンさん、シャーヒン・タヴクチュさん、シェレフ・アクドアンさん、ヴェリ・アクユズさん、エクレム・アッカヤさん、ムスタファ・ゾルオールさん、ラマザン・バクルオールさん、コライ・ケバプチュさん(炭坑技師)、ラマザン・ヤヴズさん(炭坑技師)、サドゥック・コヂャカヤさん、タルク・ヂャンデミルさん、ヴォルカン・ヂャンデミルさん、ユヌス・エクメキチさんらの遺体が遺族に引き渡された。
炭坑担当者は、アフメト・カラベクタシュオールさん、ドゥルスン・カルタルさん、エルデム・アルキンさん、エルカン・タシュデミルさん、ムラト・オズバイさんらの家族が不安を抱きながら待ち続けており、遺体が確認されていない3人の炭坑作業員と未だ発見されていない2人の作業員が彼らであると述べた。
■夢を半分残したまま
炭坑に取り残された30名のうちの1人、炭坑技師のコライ・ケバプチュさん(28)はコンヤ・セルチュク大学の卒業生であった。父親であるトゥラン・ケバプチュさんは悲報を受け取る以前、希望を抱き炭坑の入り口で待っていた。その際、息子が4年半前にヤプテキ社で仕事を始めたと明かし、「きっと息子は炭坑から元気に生きて戻ってきますよ」」と語っていた。しかし、昨日息子の遺体を受け取り、泣き崩れた。
土砂の下で命を落としたもう1人の炭坑技師であるラマザン・ヤウズさん(27)は6月21日にアナドル大学通信学部の学生であるメルベ・サラルさんと結婚する予定であった。結婚式の準備を進めていた2人はすでに招待状を配りおえていた。炭坑の入り口で涙の中で悲報を受け取った叔母のアイシェギュル・テルジバシュオールさんは「甥は4年前の崩落の時には3時間後に負傷者として助けられたのです。今回2度目の崩落に遭い土砂の下敷きになりました。しかし、今回は助け出してもらうことができませんでした。」といって涙に暮れた。
■家の借金のために働いていた
ハサン・アクババさん(48)の棺はチャタラーズ町で埋葬された。彼はイスタンブルとカラビュクの建築現場で働いていた。その後、ゾングルダクの炭坑で仕事をし始めた。7歳と6歳の2児の父親であった。すでに引退し年金をもらっていたが、新築した家の借金のために炭坑で働き続けていた。借金を返済し、2ヵ月後には退職しようと考えていた。
イスマイル・フィダンさんはチャタラーズ郡・ムスル町で埋葬された。妊娠3ヶ月の妻と2歳半の息子が取り残された。
■1つの村から10名が炭鉱の犠牲に
ハサン・エルシンさん(33)とベリ・アクユズさん(34)は県中心市のクルトキョユで埋葬された。1児の父親であるエルシンさんは7ヶ月前から仕事を始めた。ベリ・アクユズさんはというと6月に結婚するための準備をしているところであった。エルシンさんとアクユズさんの死によりクルトキョユは少なくとも10人の町民を炭坑で失ってしまったことになる。
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( 翻訳者:板井千晶・入口愛 )
( 記事ID:19297 )