イスラエル、第二のガザ支援船レイチェル・コリー号を拿捕
2010年06月06日付 al-Hayat 紙
■ イスラエル、レイチェル・コリー号を公海上で拿捕
■ ネタニヤフ首相、犠牲者がないことに喜びを表明
2010年06月06日付『アル=ハヤート』(イギリス)HPアラブ世界面(東アラブ)
【ガザ:ファトヒー・サッバーフ(本紙)】
昨日の日中、イスラエル軍はアイルランド船籍の貨物船レイチェル・コリー号(Rachel Corrie)をガザ地区の領海を前にした公海上で拿捕し、イスラエルのアシュドット港に向かわせた。これは1週間と経たぬうちに行われた2件目の海賊的作戦であり、この2件を通してイスラエルはガザ地区の封鎖解除を求める国際社会を挑発し、この封鎖と海賊的行為を戦争犯罪であるとする国際法をも挑発した。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は「犠牲者の発生」なく船舶を阻止できたことに喜びを表明し、声明で「本日、我々は違いを見た。つまり、たとえ我々と異なる見解を持ち合わせていようとも、その権利を我々が尊重できるような平和を求める船と、テロ支援者たるトルコの過激派が組織した憎しみの船との違いである」と述べた。そして、「(ハマースへの)武器流入を防ぐための海上封鎖を尊重しつつ、検査を経た生活物資のガザ地区への搬入を許可するため、イスラエルは、この2件双方において同じやり方で行動した」と言葉を付け加えた。
イスラエル軍の公式報道官はAFPに対し、「我々の軍は乗船し、船員や乗客からの抵抗なしにこれを拿捕した。すべてのことが暴力行為なく行われた」と述べ、加えてこの船の拿捕が公海上で行われたことを明らかにした。
イスラエルのメディア消息筋によれば、公海上での数時間に及ぶ追跡のあと、約25人の兵士が、昨日の正午にはしごで船の甲板に乗り込んだ。前回のように軍用ヘリコプターによる空中からの降下作戦は行われなかった。そして、イスラエル当局が通信機器や航行機器をかく乱しこの船舶とのすべての通信を切った後、他の数名の兵士も発砲することなく乗船した。
このアイルランド船籍の貨物船に乗っていた「フリー・ガザ」運動の19人の平和活動家たちは、イスラエル軍に対していかなる暴力的な抵抗も示さなかった。船長と船員は、アシュドット港へ直接向かい、ガザ地区への搬入をスムースにするべくそこで積荷を降ろすようにとのイスラエル軍の呼びかけを昨日の夜明けから拒否し、また停船し、長年にわたって封鎖下に置かれているガザ地区に向かって公海上を進むことをやめるようにとの要請も拒否していた。
イスラエル軍は、先の月曜にも自由船団の6隻を拿捕しトルコ船マルマラ号の甲板上で虐殺の罪を犯した。レイチェル・コリー号もこの自由船団を構成する1隻であったが、低速のため到着が遅れていた。
「フリー・ガザ」運動メンバーが本紙に述べたところによれば、レイチェル・コリー号があくまで航行を続けたのは、「ガザ封鎖打破」のためである。同メンバーは、「イスラエルが建築資材や教材、書籍等多くの物品を禁じている中で、パレスチナの人々に支援物資を届けることは重要である。しかしこれは、人道援助というだけではなく政治問題なのだ」と述べた。
昨日早朝、内外のジャーナリスト数十名がガザ市はずれの小さな漁港に集まり成り行きを見守っていた。ガザに住む150万人と彼らの希望は打ち砕かれた。しかし、今回イスラエルが虐殺を犯さなかったということは、彼らの唯一の慰めとなった。前回の事件に際しメディア戦に敗れた彼らは、今回は勝利すべく活動家らにソフトな対応を心掛けた。船の到着を報じるべく記者たちはアシュドット港へ向かった。
船は、550トンのセメント、650トンの教材と大学向け書籍、玩具、医療物資を運んでいた。活動家11名の内アイルランド出身の5名の中には、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイア、元国連事務総長補佐官でイラク人道支援特使デニス・ハリディらが、マレーシアからの6名の中には元首相顧問マハティール・ムハンマドがいた。クルーは英国並びにキューバ籍の8名フィリピン籍の6名であった。
レイチェル・コリー号に対する「新たな海賊行為」はパレスチナの人々により糾弾されている。米国の平和運動家レイチェル・コリーは、2003年3月16日ガザ南端のラファハ市でパレスチナ人住宅の破壊に抗議し、イスラエルの巨大な軍用ブルドーザーに轢き殺された。パレスチナの多くの人々が、その名を冠した船を拿捕することによりイスラエルは彼女を二度殺したのだと考えている。
(後略)
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( 翻訳者:鈴木啓之 )
( 記事ID:19395 )