ハッキャーリの天使、ディレキ・イェシルバシュ医師
2010年06月13日付 Zaman 紙

ハッキャーリの天使、ディレキ・イェシルバシュ医師。「首相が私のことを話しているときはとても恥ずかしく思いました」

「石を投げる子どもたち」に手を差し伸べたディレキ・イェシルバシュ医師が、遂にアナトリア・スポーツ協会とともに国際的なプロジェクトを立ち上げた。10から11歳のハッキャーリ出身の子どもたちは、ドイツで行われたU-11エルベタール・カップのサッカートーナメントにおいて、トルコ代表として出場し2位に輝いた。トルコ(の人々)は、四方を山に囲まれたハッキャーリにて汗を流して働くこの若い医師を、先週のテレビ出演によって知った。

ディレキ・イェシルバシュさんは、サムスン出身の若い医師である・・・義務研修の枠組みで2年前にハッキャーリ国立病院に配属されたイェシルバシュ医師は、一刻も早くヨーロッパに行く道を探す代わりに稀に見るほどの努力を見せて働いた。健康から教育、失業からゴミ問題、そして文化から芸術まで多岐にわたるプロジェクトを実現させた。「クルド女性協議委員会」にボランティアとして参加しているサムスン出身のこの医師は、街を歩きながら女性たちの問題に対する解決策を探している。「石を投げる子どもたち」に手を差し伸べたイェシルバシュ医師は、遂にアナドル・スポーツ協会とともに国際的なプロジェクトを立ち上げた。10から11歳のハッキャーリの子どもたちは、ドイツで行われたU-11エルベタール・カップサッカートーナメントにおいて、トルコを代表し2位の成績をおさめた。トルコの人々は、四方を山々に囲まれたハッキャーリにて汗を流して働くこの若い医師を、先週のテレビ出演によって知ることとなった。ドルマバフチェの首相執務室にて、6月5日にスポーツ界の代表者たちと会合を会合を行ったタイイプ・エルドアン首相は、ディレキ・イェシルバシュ医師もこの会合に招待した。

皆が自分の内側にこもり、個人的な正義に甘んじている環境においては、問題を解決することはできないだろうと語ったエルドアン首相は、「ハッキャーリの天使」と評されるディレキ・イェシルバシュ医師を皆の手本として紹介した。(首相は)献身的で熱心な一人の人間の努力によって、ハッキャーリの子どもたちの未来がまったく異なる向きへと流れを変えたと強調した。首相は子どもたちの希望が膨らみ、瞳の中の光がより強く輝き始めたと述べた。そして首相は以下のように述べた。「ディレキ医師は義務研修の過程を終えた状況にも関わらず、任地に留まることを選びました。『ディレキお姉さん』と言って後ろから走ってくる、何百人もの子どもたちを見捨てようとはしなかった。ハッキャーリの子どもたちにサッカーや、スポーツ、そして映画の楽しさを教えました。この子どもたちだけでなく、彼らの両親や友人たちの世界や人生観をも変えたのです」との首相の発言中に、会場では盛大な拍手が沸き起こった。

■私は必要なことをしているに過ぎません。(このように)関心を寄せられたことに驚いています

タイイプ・エルドアン首相の招待は、ディレキ・イェシルバシュ医師を驚かせ、緊張させたようだ。彼女はスポーツ界の大物たちと同席することなど夢にも思わなかったと話した。彼女はその時の様子を以下のように話した。「スポーツ界の大物たちが一人ずつ会場に入り始めると、自分が小さい存在であるように感じました。子どもたちのために成し遂げようと考え、しかしどうなるかはわからなかったすべてがそこ(ハッキャーリ)にありました。一つの夢が現実となりました。理由はそこにいる純粋な人々や子どもたちの、必要性と窮状に結びつけています。なぜなら神は、大きな必要性と窮状をもってなされる祈りを決して拒絶したりはしません。首相の話で私について言及されたときは、非常に驚きましたし恥ずかしくなりました。私自身は、必要以上の仕事をしているつもりはないからです。必要とされることをしているに過ぎません。ですから、このような関心に驚いています。母は小学校の教師です。トルコ国歌を始めから最後まで泣くことなく歌い切ることはできません。祖父は独立戦争にて4年間兵士として戦ったそうです。この国がどのように勝ち取られたものなのか、私は見知っているわけではありませんが、この物語を聞きながら育ちました」

ディレキ・イェシルバシュ医師は、首相が開いた会合で自身の経験を共有したという。彼女は以下のように話している。「私がこの集会に参加した理由である活動の基礎には、人間の痛みに触れるということがあることを伝えようとしました。これを行う最大の近道は、市民社会活動であることも話しました」

ハッキャーリの誰もに好かれるこの医師は、政府が市民主導の活動に与えた重要性と支援を強調して以下のように述べた。「敬愛なるわれわれの首相が私をこの会合に招待してくださったことは、(クルド問題の)民主的解決における確固たる決意と高い関心を示しています」(また彼女は)市民社会活動を先導する女性たちの重要性については、アフリカのことわざを用いてこのように話している。「一人の男の子を教育するなら、一人の人間を教育することになる。一人の女性を教育するなら、一つの家族を、さらには社会を教育することになる」

■ゼイネプおばあさんの涙が私をハッキャーリにとどめさせた

ディレキ・イェシルバシュ医師は、ハッキャーリで受けた痛みにとても感化されたという。おそらく精神医学の専門家であるために、ただちに皆の声に耳を傾けたのだろう。地雷の爆発のニュースを見ることと、地雷の犠牲になった子どもたちを見聞きすることは同じではないと彼女は強調する。「夫や息子を失い、死んだのか生きているのか、どこにいるのかもわからない絶望さゆえに、診療室を訪れる女性たちの話を聞き、上手く自分の言葉で説明できないことが何を意味するのかわかりました」(また彼女は)ハッキャーリに残り、何かを成し遂げようと思った際に、ゼイネプおばあさんの影響を強く受けたという。ハッキャーリの子どもたちのディレキお姉さんは、心を弾ませてその思い出を語った。「自分たちの村から何らかの理由で移住してきたゼイネプおばあさんの涙を見たとき、そして彼らの言葉を知らない私が、このような人々と心と心でわかりあえたとき、人とわかりあう方法は言葉だけではないことを知りました」

ディレキ・イェシルバシュ医師は、「火は落ちた場所を燃やす」という言葉は不十分だと言う。「火がどこに落ちようと、われわれを燃やす」といったほうがより正しいと彼女は言う。彼女自身がこの思いと考えで成長してきたこと、そして人類もこの点に向かって進んでいることを彼女は強く主張した。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:19405 )