本日(6月23日)4都市で殉教者5人の葬儀が行われた。何十万もの人々、また政府高官も葬儀に参列した。「カルデレンの少女」(テロに負けずに少女への教育を支援するプロジェクを受けた少女)であるムシュ出身のエリフ・ボリュクさんの叫び声は、その日特に注目された。 エリフさんは、現代生活支援協会によって教育を受け、唯一の夢であった教師という仕事に足を踏み出した。その後、軍警察上級軍曹のメフメト・チャーラル・ボリュク氏と家庭を築いた。エリフ教員は、殉職した夫の葬儀でPKKのテロリスト達に向けて呼びかけた。「私もクルド人です。私たちの権利を守ることは、あなたたちに託されたのか」
ハルカル市でのPKKによる軍用輸送車を狙った爆撃テロで殉職した軍警察上級軍曹のメフメト=チャーラル・ボリュク氏28歳は、故郷のイズミール・ティレ市での軍事式典にて見送られた。人々の目は洪水のような涙に満ち、土砂降りにもかかわらず約5千人が参列した式典で、殉職者の妻で教員のエリフ・ボリュクさんと抱きかかえられた娘のエイリュルちゃん2歳の状態は人々の心を打った。
エリフ・ボリュクさんは、トルコ国旗に包まれた夫の遺体と彼の写真を、愛娘のエイリュルちゃんに見せ「ほら、お父さんは天使になったのよ」という言葉が人々の胸を打った。エリフ・ボリュクさんは東・南東部の女子児童を支援する目的で創設されたカルデレン・プロジェクトによって教育を受けることができた。ムシュ出身で殉職者の妻である彼女は、テロ組織PKKに向けて「私もクルド人です。私たちの権利を守ることはあなた達に任されたのか。トルコ国旗が絶対に降りませんように」と語った。
軍警察上級軍曹メフメト=チャーラル・ボリュク殉職者の遺体は昨晩(6月22日)深夜に、生まれ故郷であるティレ市の国立病院の安置所に搬送された。殉職者ボリュク下士官の48歳の母ケズバン夫人、52歳の父サーリフ氏と、22歳の弟シナン・ボリュク氏らが住むドイランル村の実家は、弔問客があとを絶たなかった。ボリュク宅や周辺は国旗でいっぱいになった。周囲のゼイティノワ村やバイラクテペ村の入り口にも国旗が掲げられた。
村の住民、特に高齢の女性たちはトルコ国旗やアタテュルクのポスターを片手に、遺族を励ましたり、テロを非難した。エリフ・ボリュク教員は戦死した夫の遺体を埋葬しにイスタンブルから村にやって来た。2歳の娘エイリュルちゃんを片時も離さず抱きながら、姑とずっと手を繋いでいたエリフさんは、一緒に救急車で軍事式典の行われるティレ市のイマーム・ハティプモスクへと移動した。幼いエイリュルちゃんが、手に国旗を握り、叔父のシナン氏のひざの上で救急車の窓から外を眺める様子は、自動車で長い列をなしている参列者たちの心を悲しみに染めた。国旗にくるまれた殉職者ボリュク氏の棺は、ティレ市国立病院安置所から出され軍事式典の催されるモスクへと移動された。
■空も泣いていた
ひどい土砂降りの中催された式典には、ボリュク一家のほかに国防相ウェジュディ・ギョヌル、エーゲ軍総司令官ハイリ・クヴルクオウル大将、イズミル知事ジャヒト・クラチ氏、イズミル広域市事務長エルス・フズル氏、民族主義者行動党イズミル選出シェノル・バル議員、共和人民党イズミル選出メフメト・アリ・スサム議員、共和人民党と民族主義者行動党の各イズミル県支部長、そして殉職者のいとこで公正発展党マニサ県選出メフメト・チェルチ議員を含む約5000人が参列した。
■父への別れ
女性下士官たちに慰められるボリュクさんはふと、いつも抱きかかえている娘のエイリュルちゃんと一緒に夫の棺へと歩み寄った。棺に覆いかぶさって泣き、口づけをしたり、遺影をなでた。娘のエイリュルちゃんに彼の写真を見せるボリュクさんは「ほら、見て。あなたのお父さんは天使になったんだよ」と語った。その間、何が起こっているのか分からず、おしゃぶりをしゃぶっては時々クラッカーをほおばる幼いエイリュルちゃんはお父さんの写真に向かって手を振ってバイバイした。自分の結婚指輪の上に夫の指輪をはめるボリュクさんと娘エイリュルちゃんが棺に花束を置く姿は、人々の悲しみを誘った。殉職者の両親、弟も棺を涙で潤した。その時、豪雨にも負けずモスクの外に集まった何千もの老若男女による大衆は、祈りをささげ、スローガンを叫びながらテロを非難した。
■ギョヌル大臣の周りにボディガード
怒りに満ちた群衆は、「戦士は死なない、国は分裂しない」「トルコ人ですというものはなんと幸せか」「みんなムスタファ・ケマルの戦士だ」「地獄に落ちろPKK」「国会にPKKはいらない」というスローガンを掲げた。この間、反政府的スローガンも投げかけられた。
広範な安全対策がとられた葬儀で、国民防衛大臣のヴェジュディ・ギョヌル氏の周りには、万が一に備えてボディガードが配置された。弔問の際に殉職者の父サリフ・ボリュクさんはギョヌル大臣の首に抱き着いて、ひとしきり泣いたことが注目を浴びた。
■何百人もの人による見送り
昼の礼拝後に行われた葬儀の礼拝で、殉職者の父であるサリフ氏と兄弟のシナン・ボリュク氏は、最前列でギョヌル大臣とクブルクオウル陸軍大将の隣に並んだ。葬儀の礼拝後には殉職者メフメト=チャーラル・ボリュクに敬意を表する行進が行われた。遺体が霊柩車に置かれると、妻エリフ・ボリュクさんを始めとして親族も棺に覆いかぶさり、霊柩車と共にひとしきり進んだ。この世への別れを告げるこの瞬間、ティレ市民も家のバルコニーから拍手やスローガンを送り、殉職者を見送った。
■カルデレン・プロジェクトから平手打ちのような言葉
国民防衛大臣ヴェジュディ・ギョヌル氏がモスクから出ると、殉職者の遺体は埋のために、最後の見送りをする何百台もの車両から成る長い列と一緒に、13キロ離れたドイランル村へと移送された。
殉教者の妻エリフさんは、葬儀中気丈な態度で注目を集めた。彼女は、東・南東地域での女子児童へ支援を行なう目的で創設されたカルデレン・プロジェクトのおかげで、学校教育を終え、昨年もこの支援プロジェクトのPR映画に出演したことも明らかになった。エリフ教員は墓地でテロ組織PKKに向け、平手打ちのように厳しい言葉を口にした。「明日また殉職者がでるでしょう。私もクルド人です。私たちの権利を守るのはあなたたちに任されたのか。この国旗が決して降りませんように」と語った殉職者の妻であるエリフさんのこの言葉は人々の心を打った。
■赤ちゃんのチョッキがお墓に添えられた
殉職者の妻であるエリフ・ボリュクさんは、まだ幼い娘であるエイリュルちゃんのチョッキを、埋葬された夫メフメト=チャーラル・ボリュク氏の遺体のまくらもとに置いた。棺の上のトルコ国旗もエリフ・ボリュクさんと父サリフ・ボリュク氏に手渡された。殉職者であるメフメト=チャーラル・ボリュク氏の遺体は、兵士たちの肩に背負われて車両から降ろされた後、村墓地の外にある特別な場所に設置されたお墓に埋葬された。
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( 翻訳者:智原幸穂 )
( 記事ID:19489 )