アミーリー氏「アメリカによって誘拐され、8ヶ月にわたって厳しい拷問を受けた」
2010年06月08日付 Jam-e Jam 紙


〔サウジアラビアの〕メディナで誘拐されたイラン人のシャフラーム・アミーリー氏がビデオテープを公表し、欧米メディアの主張に反して、自身はアメリカとサウジアラビアの諜報機関による合同作戦によって、昨年のホルダード月〔西暦2009年5〜6月〕に誘拐され、現在アメリカのツーソンという町に暮らしていることを明らかにした。

 アメリカの各メディアはこれより前、イランの核の専門家であるシャフラーム・アミーリー氏は機密情報とともに、自ら進んでアメリカに亡命したと報じてきた。

 アミーリー氏の主張は西側諸国、特にアメリカにとって大いなる汚名となるだろう。昨晩イラン国営放送第2チャンネルで放送された短い映像の中で、アミーリー氏は次のように語った。
マーレク・アシュタル大学で研究員を務めている私シャフラーム・アミーリーは今、アメリカ・アリゾナ州のツーソンという町にいます。私は1388年3月13日〔2009年6月3日〕に、アメリカ諜報機関CIAとサウジアラビア捜査機関のテロ・誘拐班による合同作戦によって、メディナ市内で誘拐されました。

 アミーリー氏は誘拐の詳細について、「彼らは、サウジアラビアの、とある施設に私を移しました。私は麻酔を注射され、気づいたときにはアメリカ行きの飛行機の中にいました」と説明、さらに自身に対するアメリカ政府の扱いについては、「私はアメリカにいた8ヶ月間、米諜報機関による過酷な拷問と精神的圧迫の下におかれました」と告白した。

 彼はアメリカの拷問官がなにを求めていたのかについて説明するなかで、次のように述べた。
彼らは、アメリカのテレビ局とのインタビューのなかで、私がイラン核開発計画で重要な位置を占める人物であること、自発的にアメリカへの亡命を希望したことを話すよう、私に求めてきました。彼らは、私が最重要書類を持っていること、イランの核・軍事活動についての機密情報の入ったノートパソコンをアメリカに持ってきたということを、インタビューで明かすよう求めてきました。

 アミーリー氏はさらに次のように明言した。
彼らの基本的な目的は、イランに対して政治的圧力を加え、イランを非難し、アメリカが定期的に持ち出してくるウソを〔あたかも真実であるかのように〕証明することでした。

 彼は最後に、イランで活動している人権団体に向けて、「私の問題を追及して下さい。なぜなら、私は第三国から略取されてしまったからです。私がイランに帰れるよう助けて下さい」と訴えた。

 またアミーリー氏は家族に対しても、この映像を見ても〔感情的にならずに〕我慢してほしいと求めた。

 専門家らは、これまでことあるごとにアミーリー氏をイランの核エネルギーの卓越した研究者で、自ら望んでアメリカに亡命したと世界中に触れ回ってきた欧米メディアにとって、今回のアミーリー氏の告白は大いなる汚名となるだろうとの見方を示している。

 アメリカのABCテレビは1389年ファルヴァルディーン月11日〔2010年3月31日〕に、昨年のホルダード月から行方不明になっていたイラン人の核の専門家であるシャフラーム・アミーリー氏がアメリカに亡命し、CIAに協力していると報道した。

 ABCはアメリカの一部当局の発言として、シャフラーム・アミーリー氏が亡命を求めてきたことは、CIAにとって「諜報活動の勝利」となるだろうと報じていた。

 アミーリー氏の誘拐話は、彼が1388年ホルダード月10日〔2009年5月31日〕日曜日に、「神の館」(メッカ)を訪れるほかのイラン人巡礼者と同様に、家族に別れを告げて、テヘランからジッダに向けて旅立ったことに始まる。

 彼はメディナから家族に取った最後の連絡のなかで、ジッダ入りしたときに、サウジアラビアの〔入国管理の〕役人から、他の巡礼者たちよりも詳しく調査を受けたことを証言している。そしてその3日後、〔メディナにある〕預言者の聖廟を訪れようと、滞在していたホテルを出たのを最後に、アミーリー氏は消息を絶ったのである。

 この事件のあと、マヌーチェフル・モッタキー外相をはじめ、イラン当局者らはこの事件について、「シャフラーム・アーミーリー氏の行方については、サウジアラビアが責任を負うべきである。また、アメリカが同氏の拘束に関与しているものと、われわれは考えている」と、明確に表明している。

 なお、過去2年の間に行方不明となった(実のところ〔欧米によって〕誘拐された)イラン人は、シャフラーム・アミーリー氏が初めてではない。彼以前にも、アリーレザー・アスギャリー国防省元次官やナスロッラー・タージーク元駐英イラン大使、そしてアルダビーリーという名の人物も、同様の運命に巻き込まれている。

 アスギャリー氏はトルコで誘拐され、ナスロッラー・タージーク氏は2006年にフランスで消息が途絶えた。しかしながら、彼らにはイラン核開発計画に関して、欧米諸国が主張しているような特別な情報などもっていないことは、彼らの経歴からも明らかだろう。

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( 翻訳者:岡本詩織 )
( 記事ID:19520 )