17年前のシヴァス・マドゥマクホテル焼き討ち事件追悼式に、はじめて大臣参加
2010年07月02日付 Radikal 紙
1993年7月2日にマドゥマク・ホテルが焼き討ちされ、37人が死亡した。この事件の17周忌に初めて、政府関係者の追悼行事への出席が実現した。以前のプログラムでは政府関係者は誰一人として出席していなかったが、今年は、ファルク・チェリキ国務大臣、アリ・コラト知事、大統一党(BBP)のドアン・ウルギュプ市長が、ホテル前での追悼行事に参加した。チェリキ大臣は、「マドゥマクの辛苦はトルコ全土の辛苦だ。この事件について敵味方はない」と述べた。
シヴァス事件を記念する行事は、まずファルク・チェリキ国務大臣の訪問で始まった。早朝に「アタ」機で街に着いたチェリキ大臣は、県知事府を訪れプログラムについて説明を受けた。
チェリキ大臣には公正発展党の国会議員でシヴァス選出のセラミ・ウズン議員、ハムザ・イェルリカヤ議員、オスマン・クルチ議員、アドゥヤマン選出のシェヴキト・ギュルソイ議員、イスタンブル選出のアイシェヌル・バフチェカプル議員も随行した。
チェリキ大臣はその後、アリ・コラト知事、BBP党員のドアン・ウルギュプ市長、ジェム財団シヴァス支部のアリ・ルザー・カチャン支部長を伴い、街の様々な市民社会組織の代表者らと共に歩いてマドゥマク・ホテル前に到着した。ホテルの前で、亡くなった犠牲者のために1分間の黙祷を捧げた。
■「我々の歴史における辛い日々の一つである」
黙祷後、ファルク・チェリキ国務大臣は1993年の辛い事件により感じた悲しみを語り、「命を失った方々に哀悼の意を表する」と述べた。「1993年7月2日は、我々の歴史における辛い日々の一つだ」と述べたチェリキ大臣は次のように続けた。
「あの日、狡猾な集団は暗黒のシナリオを上演しようとした。あの日、裏切り者たちは家族の絆を壊そうとした。あの日、彼らは我々の「相違」を利用しようと、何百年にも渡る我々の兄弟愛を血と涙に晒そうとした。あの日から今日まで、丁度17年が過ぎた。我々はあの日を忘れていない。命を失った方々を追悼するために、今日は皆揃ってここにいる。マドゥマクの辛苦はトルコ全土の辛苦である。この事件に敵味方はない。これは実際、あの炎を消さないということだ。事実として一つの現実がある。我々の団結と幸福を望まない一派がいる、そしてここで命を失った人々がいる。即ちこの件において敵味方はない、7300万の人類愛の名において皆同じ側にいる。ホテルを覆った炎は我々皆の心に飛び火した。この事件を企てた者たちを、狡猾な勢力を、私は激しく嫌悪を以って呪う。命を失った方々一人一人を敬意を込めて悼み、親近者を失った方々の苦しみを心から分かち合いたい。」
■「我々はアシュレ(注)のようだ」
チェリキ大臣は、アナトリアの大地が何千年にも渡る平和と兄弟愛の流域であること、メヴラーナ、ユヌス・エムレ、ハジュ・ベクターシ・ヴェリなどの慈愛の征服者がこの大地で芽吹いたことに言及し、次のように述べた。
「これら不朽の偉人の口からこぼれた言葉、ペンから滴った言葉が我々を互いに結びつけた。このために、異なる出自と信仰を持つ人々がこの土地で平安の中に生きてきたのだ。この土地は共生モデルの最も優れた例となっている。アナトリアとは悲嘆と運命を共にする共同体の名である。彼らは我々のこの共同体を破壊しようと何度も試みた。マラシュで試み、チョルムでも試みた。シヴァスで試みた。しかし彼らはこれに成功しなかったし、今後も成功しないだろう。なぜなら、この国民の生地はメヴラーナが、ユヌス・エムレが、ハジ・ベクタシュ・ヴェリが練ったのだから。いかなる邪悪な集団もこの生地を壊すだけの力を持たない。なぜなら、我々は国民皆でアシュレのようなのだから。アシュレは何千年にも渡る兄弟愛を一つの味の中に象徴させる最も素晴らしい例ではないだろうか?互いを変えさせる不安を抱かず、たくさんの味が集まって新しい味が生まれる。ブドウはブドウらしく、ヒヨコマメはヒヨコマメらしく、インゲンマメはインゲンマメらしく、コムギはコムギらしく、イチジクはイチジクらしくあり続ける、しかし全てが集まってこの土地に独特のアシュレを生み出している。まさにこれがアナトリアの大要だ、これがトルコの大要だ。アレヴィー派とスンナ派、すべての構成要素とともに、我々はこの土地に刺繍のちりばめられた色とりどりのアナトリア絨毯を生み出したのだ。同じ問題に悩み、同じ幸福を分かち合った。カルバラでは水を絶たれ、チャナッカレでは7カ国を相手に肩を組み合い闘った。我々は国家の一体性のために出された犠牲者を同じ国旗に包み、同じ土地に並べて埋葬した。しかし、どんな力も、どんな辛苦も、我々の一体性と兄弟愛を損ねることはできなかったのだ。我々がともに許可しない限り、彼らは我々の一体性を損ねることはできないだろう。」〔後略〕
訳者注:別名「ノアの箱舟プディング」と呼ばれるゼリー状のお菓子。洪水から救われた後、神に感謝を捧げるために箱舟に残っていたすべての食料を集めて作られた一品、との説による。本文にあるとおり、干しブドウ、ヒヨコマメ、インゲンマメ、コムギ、イチジクなどを煮て、固めてつくる。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:19569 )