Ismet Berkanコラム:この国の、「人種差別主義」の現状・・・
2010年07月30日付 Radikal 紙

扇動だとか、いや国民投票に影響を与えようとする企みだとか、いやいや酔っ払いの仕業だとか、そうじゃなく民主的解決策のせいだとか…。
これらはすべて口実だ。我々は事実を認めなければならない。我が国の非常に多くの問題点が、宗教と民族の緊張を原因とし、後は破裂を残すのみの爆弾のように待機しているのだ。
もちろん扇動であるし、もちろん悪意ある人々は存在し、もちろん些少な、または大きな火花の影響もある。しかしこれらの存在が根底に横たわる原因を見て見ぬ振りする理由であってはならず、とりわけそれらの原因を否定することを助長しては決してならない。
認めようではないか、トルコにおいて我々は「とても仲が良い」のではなく、またここは寛容な社会でもないのだ。
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本紙のあるクルド人の同僚が、彼の親戚の一人と語った話をここに紹介しよう。
その男は何年も教職を務め、とうとう定年を迎える。彼の子供たちはとっくに結婚し、社会生活を営んでいた。彼と妻は快適な引退生活を送る都会の人間だった。
男は退職金でアイヴァルク近くのある村に土地と家を買う。引退後は土いじりをして暮らしたい、それも気候の良い土地で、と望む。
だが土地と家を買い、村に住み着いてから間もなく、村の有力者たちが引退した教師を訪ねてくる。男は表敬訪問だと思い、「おそらく歓迎に来てくれたのだろう」と考える。しかし、村の有力者たちにはまったくそのような心ある目的はない。「我々は」と話し出す、「考えたのだが、あんたからこの土地と家を買い戻そうと決めた。あんたはこの村でくつろげないだろうし、我々もそうだ。一番良いのはここを売って出て行ってくれることだ。あんたが来たらそのうち親戚方も来るだろう、我々はここにあんた方にいてほしくないんだ。」
先に言ったように、男は教育を受けた都会の人間だった、しかし彼はクルド人だったのだ。村の有力者たちは村の「民族の一体性」が損なわれることを望んでいなかったのだ。
そう、これは暴力にまでは至らなかった差別主義の例だ。こうした事件が毎日、非常に多くの場所で起きているのだと確信してほしい。
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残念なことに、イネギョルで起こったことはこれが最初でも最後でもない。
ボドルムをご覧なさい。あそこでも毎年、イネギョルでのように緊張が起きている。アイヴァルクをご覧なさい、他の海岸沿いの町々を見なさい。
たった数ヶ月前に、マニサのセレンディ郡でロマの人々になされたことをご覧なさい。
70年代のチョルム、カフラマンマラシュでの事件は単に扇動者がいたために起きたのではない。そこに扇動される準備の整った群集がいたのだ。
この現実と向かい合わず、我々の抱える民族差別の生み出す緊張の存在を無視していては、トルコはどこへもたどり着けないし社会的平和などといったものも構築できない。
事実とはつまり、あちこちでトルコ人対クルド人の衝突が起こることに、PKKの存在は必要ないということだ。しかしPKKの存在、毎日伝えられる殉職の報は、この衝突が起こる可能性をより強めている。
口実にすがったり、起こったことを実際よりも小さく見せようとする、または短期的政治利益のために起こったことを歪めるのではなく、他国がこの種の潜在的な内部衝突に講じた対策が何であろうと、我々もそれに類似した対策をとり始めることが必要なのだ。教育と、いい意味での宣伝活動により、緊張が暴力を生みだすことを防がなくてはならない。

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( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:19820 )