差別しないでほしい―ドルトゥヨルの事件関連
2010年08月01日付 Milliyet 紙


事件においてドルトゥヨルでの根本的な問題は、エスキメズバハ地区が解放地区のように認識されることである。ハタイ県平和民主党(BDP)県議委員会のメンバーであるアルダハナルプ氏は、「一部の若者は気持ちを高ぶらせていますが、ここにいるクルド人たちの多くは差別を望んではいません」と話した。

内部衝突の火種となる展開が生じているハタイ県ドルトゥヨル郡での緊張状態の根本には、南東部の村からの強制退去によって移住してきた人々が新たに住み着いたエスキメズハバ地区を、テロ組織が「解放地区」へ変えようとしている活動が横たわっている。先週の月曜日に4人の警官が犠牲となったドルトゥヨル郡における緊張状態は、BDP議員が当初木曜日に予定した訪問を、その後中止とした後に和らいだ。毎週土曜日に行われ、商人の多くがクルド系市民である市場は、昨日(1日)いつも通り開かれていた。ドルトゥヨル郡内にて「解放地区」と連想されるエスキメズハバ地区にて、市民の内情をつかんでみた。

3500人の人口を抱えるこの地区は、イェシル街区とオジャクル街区の上部とからなる、二つの街区によって構成されている。人口の大部分が、1990年代に村から強制退去させられたディヤルバクル県やビンギョル県からの移住者たちである。地区住民たちは、チュクロヴァやレイハンルの耕作地や果樹園で働く労働者たちである。市民の大部分が貧困者だ。多くの人々の収入が、20リラの日当とシトラス果樹園での仕事から派生している。

アマヌス山地の裾野に広がるイェシル街区の、特にハイウェイを過ぎた上方一帯は「スラム街」の様相を呈している。BDP議員の訪問が予定されていた先週木曜日の「エスキメズハバは立ち上がっている、オジャラン万歳」と書かれたプラカードが掲げられた街区の入口には、特別小隊が装甲車で警戒している。郡内の緊張状態を引き起こした原因の一つも、ドルトゥヨル中心部の市民の中で、テロ組織に地区(住民)から物的な支援がおこなわれているといった考えが形成され始めたからだ。

ハタイ県BDP県議委員会メンバーであるメフメト・アルハナルプ氏と、街中の喫茶店で面会した。

■ 「差別は望んでいない」

アルハナルプ氏は、以下のように発言した。「この地区には3つの世代が暮らしています。1970年代の移住者と、1980年代の移住者、そして1990年代に焼き払われ、破壊され、強制移住させられた村々からやって来た人々です。ここはエスキメズハバという地名です。イェシル街区とオジャクル街区から形成されています。昔からの住民はウルファ県やマルディン県から来た人々です。(人口の)60から70パーセントが、1990年代にやって来た人々です。村が焼かれ、ここへやって来ました。(しかし)ここからもわれわれを追い出すというのですか?一部の若者たちは気持ちを高ぶらせています。しかしここで暮らすクルド人の多くは差別を望んではいないのです。」

■ 「訪問については話し合った」

ハリル・バイバリスBDPドルトヨル郡支部長も、事件について以下のように述べた。「警察署長と共に、党首の訪問や焼失した党の建物への訪問の件について話し合いました。しかし会議では知事が『党首がここを訪問できないことを私も正しいとは思えませんが、市民を抑えることはできないでしょう』と発言しました。市場には大きな群集が集まったことを聞きました。われわれも党首をその場に連れてくることを望みませんでした。プログラムのその部分をキャンセルしました。事件の拡大を阻止したのです。」

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:19830 )