スメル修道院で、88年ぶりの祭礼
2010年08月16日付 Milliyet 紙


ギリシャやロシア、グルジアから訪れた正教徒たちは、昨日(15日)聖母マリアが天に昇ったとされる8月15日(生神女就寝祭、いわゆるカトリックの聖母被昇天祭)を、88年振りにスメル修道院での典礼にて祝った。

信徒が集まってくると、それまで雲におおわれていた中庭に太陽が差し込み、バルトロメオス総主教の立つ祭壇そして辺り一帯をゆっくりと包み込んでいく。神は、最後の言葉を述べているのだ、たぶん、「みな、同じ太陽の下に照らされている」と。

石畳の道で有名なトラブゾンのマチカでは、その日は早朝6時から活気をおびていた。メインストリートではミニバスが列をなして止まり、行ったり来たりしている。カリメラ(ギリシャ語の「こんにちは」)やヤス(ギリシャ語の「元気」の意味)という言葉が飛び交っている。なぜなら、ここにいるのはギリシャからの何百人もの来訪者だからだ。
正教徒たちにとって重要な日。聖母マリアが昇天したとされる8月15日を、トルコ共和国成立以降、今回初めてスメル修道院での典礼によって祝うこととなった。加えて、典礼をバルトロメオスフェネル・ギリシャ正教会総主教が執り行なう。
何年間も議論が続き、去年はとくに議論が白熱した話題がこれである。最終的に、文化観光省の許可により実現した。

■運転手によれば、非常に素晴らしい

約2千人もの人々がこの典礼儀式のためにマチカにやって来た。ギリシャやロシア、そしてグルジアから・・・3日間彼らはこの町に滞在する。今まで見たこともないほどの活気がある。
私を空港から乗せた運転手によると、非常に素晴らしい様子だという、毎年この祭礼を行っていればという。さらには、自身の村にあった修道院は潰れてしまったと嘆いた。「まだあったならば、今頃われわれの村は豊かだっただろうに!」
ホテルのフロントも彼と同じ意見で、一つも空室はなく、これ以上何を望むというのだという。ラマザンと重なったことに彼らは不満を持っているだろうか?いいや、そもそもマチカでは大多数の人々が断食を行わない。なぜか?「昔はもっと多くの人が断食をしていた」と運転手は言う、「タイイプおじさん(現首相)、ありがとう、もういいよ。もうがっかりだよ」。ここの人々はみな共和人民党(CHP)に投票しているようだ。公正発展党(AKP)とのつながりはまったくない。

■いたるところで警備

朝まだ暗いうち、私を修道院に連れて行くためにホテルから乗せてくれた別の運転手であるオクタイさんも、この状況をとても喜ばしく思っていた。典礼の時間まで、何回客を送り届けるか数えている。彼の車はドーアンのように見えるシャーヒンで、ドアは手で押さえていないと開いてしまう。シートもスポンジが飛び出ている。しかし運転手としての腕前はいいと主張するオクタイさんは、修道院が建てられている山々を指差して言う。「ここではしばしば1メートルもの雪が積もる。ただの幻想であってほしいと思って上り下りするんだ」
しかし今回は、雪道を悪戦苦闘するよりもっと大変だ。いたるところで軍警察が車を停車させる。「行かれませんよ」。その度に何度も説明するはめになった。「私は記者です。許可をもっています」
この規制の理由の一つは、修道院の収容人数であり、もう一つは総主教のための警備である。警備に関しては、素晴らしいとは言い難い。なぜなら私は正式な許可を得てはいるが、まだ許可証は入手していなかった。県からの強い命令があるにもかかわらず、私は許可証を提示すること無く、どこも通過しているのだ。魔法の言葉は「許可証は持っていませんが、上でもらう予定です」。さらには、(修道院まで)残り3km程のところを走っていると、軍警察の一人が手で合図して、そのまま車を通してくれる。
つまり、「手を振りながら」と表現するのがいいだろう。鞄を調べることも、車を調べることもない。1,2時間後にはバルトロメオス総主教の目と鼻の先まで近づくことができる。加えてトラブゾンの記録簿は、非ムスリムたちのことに関しても、あまりきちんとしていない

■木の根が物語る・・・

遂にスメル修道院に到着した・・・そこにたどり着くために真の「信仰の力」が要求される修道院への道のわきには、バイオリン弾きや二つの大きなドネルケバブを、今のうちから火にかけているレストランに至るまで、みな「観光でひと儲け」ということで頭が一杯だ。ところがそこにはある種の強い思いがある。われわれが聞いたことも、見たこともない、おそらくそれゆえに我々は何とも思わないような強い思いが・・・
修道院に到着するすぐ手前で、訪れる人々を出迎える木の根が、すべてを物語っている。これらの木々と同じように、今日のために何千キロもの旅をしてきた人々の中にも、古くからの「根」があるのだ。
木々の枝は伐採され別の場所へ運ばれてしまっている、しかし何百年もの間、その根はスメル修道院を見守ってきた。それらの根を踏みしめて修道院へと入っていく人々は、自分たち自身の「根」にもこうして触れているのだ。

■コスタスさんは叔母を探すつもり

62歳のコスタスさんの父母もマチカで生まれた。住民交換の時代にギリシャへ移住する際、コスタスさんの叔母はあるトルコ人に恋をしたので、彼女を残し一家はこの地を去ったという。その後、彼女から連絡がくることはなかったらしい。コスタスさんは典礼が終われば、鞄を担いで叔母を探す旅に出る。しかしその前に、昨年99歳で亡くなった母の遺言を実行するつもりだ:すなわち彼女の墓にかけるために、スメルから一握りの土を鞄に入れていくのだ。
8時になって、修道院は人々で溢れ始めた。一方では慌しく典礼儀式の準備が続いている。修道士たちは、典礼が行われる祭壇のカバーを外してはまた掛け直したり、マイクをひたすら調整したり、カメラをセッティングしたりしている。トルコはどこも暑さで乾燥しているが、ここはひんやりとした風が吹き込み、みなリラックスして働いている。
ロシアから250人、ギリシャ正教総主教府の招待客が250人の計500人がここを訪れると予想されている。典礼を待つ間、周りを見渡してみた・・・修道院のある断崖が、1500年もの間なにを見てきたのか誰も知る由もない。どんな人々を出迎えてきたのか、権力闘争や哀願、善行そして宗教上の罪の目撃者になることもなく。
何百年も昔に描かれたフレスコ画に、スプレー缶で自分たちの名前を書いたマフムトたちやヨルゴたち、ジョンたちに何を見、何を思ったのか・・・彼らが言葉を有していれば、また今日という日を自分たちの歴史の中のどこに位置づけるのか話してくれたとしたら・・・最も戸惑った思い出の中にだろうか、または最も喜ばしい思い出か、それとも「数ある典礼の中の一つ」という記録の中にだろうか?
この典礼の、修道院にとっての意義はおそらくわからないが、ここに集まった人々にとっては明らかだ。20歳のロシア人であるソニアさんは、母と共に日帰りでここを訪れたという。ひたすら写真を撮り続けている。バルトロメオス総主教の到来を、胸を高鳴らせて待っている。空にヘリコプターの音が響き始めたことから、総主教が近くまで来ていることがわかった。典礼は10時から開始されると知らされていた。10時まで残り丁度10分という時に、漆黒の法衣を纏ったバルトロメオス総主教の姿がドアから見えた。拍手の中、彼は急な階段を下り、集まった人々は一人ずつその手にキスをしている。祭壇まで進み、彼は姿を消した。そして丁度10時にきらびやかな法衣を纏って戻ってきた。間もなく典礼が始まる。
修道院は1500年の歴史を有し、典礼儀式はさらに古いものであるが、時代に歩調を合わせるしかないのだ。バルトロメオス総主教の声は襟元のマイクから届いている。他の修道士たちもマイクを使って賛美歌を歌っている。四方にはスピーカー・・・人々が集まっているとき、完全に雲におおわれていた中庭に、太陽の日差しが差し込み、まず総主教の立つ祭壇を、そしてゆっくりと辺り一帯を包みこんでいく。
神は、最後の言葉を述べているのだ、たぶん、「みな、同じ太陽の下に照らされている」と。

■どこもかしこもブランド

この状況に不満を抱く人々もいる。人々は傘を開くのだが、そのブランドは(ジャンフランコ)フェレやルイ・ヴィトン。実際彼らのバックやスカーフも、何かしらのブランド物だらけだということがわかる。これらの人々の経済指標は明らかだ。
典礼の途中、中庭でトラブルが起こり、大声を出す者もいた。一人の修道士は気分が悪くなり床に倒れ、医者が呼ばれた。これらすべての出来事が起きている間、バルトロメオス総主教は端々の人にまで目をやるものの、典礼が中断されることはない。「(何が起ころうとも)最後まで続けなければならない」というルールはここでも有効なのだ・・・
典礼は、聖体礼儀のためのパンとワインの儀式をもって終了した。曲がりくねった小道を再び通って、私は下山し始めた。私の隣を二人の「意気がった若者」が通り過ぎていく。手をうしろで組み、熱心に話している。「このポントス(ギリシャ)国家は彼らの夢だ・・・」

■ありもしない要求への攻撃

こうして何年間も、修道院が礼拝の場として開かれることを妨げてきた主張が、初の礼拝の後に再び叫ばれている。おいしいカイマクにパンを浸して、音を立てて流れる川の近くに座ることがある一方で、ありもしない要求に対し攻撃しようとする者もいる。
結果は?スメル修道院で88年の歳月を経て初めて、正教会の典礼がおこなわれたのは昨日の朝である。新聞が印刷されるまで、ポントス(ギリシャ)国家を再興しようなどという要求は、だれからもない。

■高揚に違う意味を与えてはいけない

祈りの後、バルトロメオス総主教はギリシャ語とトルコ語で話し始めた。そこでは、この典礼を執り行なうことをどれほど喜ばしく思っているかを述べ、この機会を与えてくれた文化観光相やトラブゾン県知事、そしてその他の国家の要人に感謝の意を告げた。すべての正教世界の心がここで一つの鼓動として高鳴ったと述べた後、(人々に)以下のことを強く求めた。「この高揚が、この喜びが、そして信仰心や連帯感が、決して異なる意味にとられないようにしなければなりません。いつもそうであるように、今日も祈りを捧げるためにわれわれはここに来たのです」
話の最後では、オスマン帝国のスルタンたちがスメル修道院へ示してくれた援助についても言及し、最後はラマザン月を祝福し、幸運の祈りを送った。
典礼は約3時間続いた。願いや祈り、祈祷の形は違っても、本質は同じだ。この瞬間にマチカに暮らし、部屋にてラマザンの祈りを捧げるムスリムも、スメル修道院で手にロウソクを持ち、総主教の話に耳を傾ける人々も同じことを願っている。信徒らを山上まで連れてきたバスの運転手たちの一人も、ひっそりと人目のつかない場所で午後の礼拝を行っていた。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:19956 )