サルマやボレッキのお金でパレスチナの子供達イスタンブルヘ
2010年08月29日付 Zaman 紙

三年前、五年前、七年前に父親を亡くした10人のパレスチナの子供たちは今週イスタンブルにいた。

トルコ人女性たちは団体や誰の助けも受けずに、サルマを巻いて、ボレッキを売ることでガザから7人の男の子と3人の女の子をイスタンブルの観光に招待した。

このプロジェクトの発案者は、自身もパレスチナ人であるイスラムさんである。襲撃のを受けて負傷し、車いすでの生活を始めたイスラムさんはトルコでの治療の間に知り合ったニリュフェルさんと結婚し、トルコに留まった。ガザの子供たちの生活環境を向上させるためにと考えた観光を最初に口にした時、イスラムさんがこれを成功させることが出来るとは誰も信じようとしなかった。最大の援助は妻であるニリュフェルさんからのものであった。女性たちを集めてサルマや、お菓子、ボレッキのチャリティーバザーを企画した。時には会場を借り上げ、またある時には市場で行われたチャリティーバザーで得たお金は、ガザの子供たちのトルコへの切符に変わった。およそ三カ月という短期間で資金は集められ、その資金でガザの子供たちをイスタンブルへ連れてきた。

ガザからどの子どもをこの観光に参加させるかを決めたイスラムさんは、父親を亡くした子供たちを優先したそうだ。「その為」と語るイスラムさんは、そばに座っているエミラを見せて「エミラも私たちと来ました。この子の父親は私の友達でした」大きくなったらエミラは小児科の医者になりたいそうだ。「どうして?」と尋ねると「ガザで子供たちを見てから」と答えた。エミラとアフメト、最年少で七歳のレガト、彼の兄であるフィラズを始めとする子供たちをこの観光のために国外へ出すことが可能かどうかに関し、支援船マーヴィ・マルマラ号に対し行われた襲撃の影響があったとイスラムさんは述べている。

アフメトは一週間ではあるが少しでも楽しんでほしいという思いから行われたこの観光に参加した最年長の子供である。この観光のみではなく四人兄弟の長男でもある。父親を七歳の時に亡くし、母親も職はないとアフメトは語っている。七歳で父親を亡くし、封鎖の中で援助を受けて生活してきたにもかかわらず、中学校二年生の授業に参加したアフメトの成績は良かった。

付添い人に背中を押されて、子どもたちはコマで夢中で遊んでいるときに、習ったトルコ語の言葉を並べていた。エミラは「ガザで海に行ったことはありますか?」と尋ねられると「お母さんが許してくれなかったから、お母さんはイスラエル人を怖がっていた。でもイスタンブルと海は例えようのないくらいきれい」と答えた。「イスラエル人の友達はいますか?」と尋ねると、エミラは最も辛い答えをした。「彼らとどうやったら友達になれるだろうか。彼らは私のお父さんを奪った人たちです」

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( 翻訳者:清川智美 )
( 記事ID:20054 )