ヌーレッティン・ヌルチンマフィア集団の恐るべき実態
2010年09月05日付 Hurriyet 紙

イスタンブルのアヴジュラルで、警官の格好をして、あるナイトクラブで働くC.K.さんの髪を掴んで引きずりながら連れ去り、何時間にも渡って性的暴行を加えたとされている男たちが、約1年半前にコジャエリで、頭部を切断され、ばらばらにされた形で死体が発見されたジェンギズ・ヌルチンのマフィア集団の仲間であることがわかった。

イスタンブル県共和国検事メフメト・ベルクが作成した102ページに渡る起訴状には、ヌルチンマフィア集団として知られる組織の仲間が行ったとされている、C.K.さんの拉致及び暴行を含む殺人、傷害、強奪、恐喝など、鳥肌が立つような恐ろしい行為が記載された。マフィア集団のリーダーで1990年来犯罪に関わってきたジェンギズ・ヌルチンを、組織によって殺害されたと主張するネスィム・オズベイの親戚が2009年12月21日に殺し、頭部と足を切断して死体をバラバラにしたと書かれている。

■俺のところに来なければ、お前を無理やりつれ出して何でもやってやる

共和国検事メフメト・ベルクが作成した102ページの起訴状には、組織の一員が、アヴジュラルのあるナイトクラブで働くC.K.さんの髪を掴み引きずりながら連れ去り、組織の仲間たちによって何回も暴行を加えたことが、事細かに記載された。

容疑者の1人であるユスフ・K.が、事件の少し前、C.K.さんが働くナイトクラブを客として訪れ、C.K.さんを自分が座るテーブルに来るように何度か誘ったことが明記された。C.K.さんがこの誘いを断ると、ユスフ・K.は、「お前が俺のテーブルに来ないなら、いつかまた来てお前を無理やりつれ出して何でもしてやるぞ」と言ったことが明らかになった。ユスフ・K.は事件当日、ジェスィム・G.、メフメト・D.、ジハンギル・N.、メフメト・フアト・B.、ユルドゥルム・A.を伴って2台の車で現場のナイトクラブへ行き、身分証明書をチェックする警官を装ってナイトクラブに入ったとされている。男たちはドアに立っていた警備員を押し倒して中に入り、C.K.さんは抵抗したにも関わらず、髪を掴み外に引きずり出し、2台の車のうち片方に乗せられたと言われている。

■暴行の跡を隠蔽するため風呂で洗った

C.K.さんは、メフメト・D.のものとされているある集合住宅の一室に連れていかれ、ジェスィム・G.、ユスフ・K.、ジハンギル・N.はC.K.さんに何度も性的暴行を加えた後、暴行の跡を隠蔽するためにC.K.さんを風呂場に連れていって洗ったことが明記された。メフメト・D.とユスフ・K.は、C.K.さんを家の近くまで連れて行き、誰にも何も話さないよう脅したこと、性的暴行事件の後C.K.さんが心理傷害を負い、法医学協会が報告書を作成したことが明らかになった。

■告訴しないよう説き聞かせた

C.K.さんが「ベキル」だと認めたところのアブベキル・A.は、事件の後、妻と名乗る女と共にC.K.さんの家を訪れ、告訴しないように説き聞かせたことがわかった。.
C.K.さんが働いていたナイトクラブのオーナーであるアリ・Ş.さんも、バクルキョイ第12重罪裁判所での第1回目の公判の前、告訴を取り下げるようよう脅迫され殺人さえも仄めかされたことがわかった。

■バクルキョイでの法廷書類とこの裁判は統一されるべきだ

起訴状には、同事件に関して、すでにバクルキョイ第12重罪裁判所で裁判が行われたと書かれており、容疑者たちはこの犯罪を組織行為の一環として犯したことも明記され、バクルキョイでの法廷書類とイスタンブル第13重罪裁判所での法廷書類を統一するべきだとも記載された。

■マフィア集団リーダーの死体はバラバラの状態で発見された

起訴状には、マフィア集団のリーダーであるとされているジェンギズ・ヌルチンが、約1年前に殺され、頭部と足を切断された状態で発見されたことについても記載があった。
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2009年10月3日に、ジェンギズ・ヌルチンの指示により、マフィア集団に上納金を払わなかったという理由から、アデム・U.がネスィム・オズベイを殺害していたが、そのネズィム・オズベイの親戚が、2009年12月21日にウムラニエの家でジェンギズを殺したことが明記された。ジェンギズ・ヌルチンの死体はバラバラにされ、コジャエリのディロヴァス・テペジキ村の村境の辺りで、側溝に埋められた状態で発見されたと言われている。

メフメト・オズベイは、兄であるネスィム・オズベイが殺害されてから1ヶ月後の2009年11月4日に行った告発で、兄を撃ったのはアデム・U.であること、ジェンギズ・ヌルチンが指示したこと、家族が殺され拉致される恐怖を味わったこと、容疑者については必要な法的措置をとってほしいことを述べた。
ジェンギズ・ヌルチンが殺害されたことは、裁判の争点であるマフィア組織による犯罪のうちに入らず、司法権の及ぶ範囲でないとの判断がなされ、書類はウムラニエ区共和国首席検事に送られたことがわかった。

■リーダーの死後、暴行事件の容疑者を代理にたてようとした

マフィア集団リーダーのジェンギズ・ヌルチンは、殺害される2009年12月21日まで、組織を動かし、命令をくだして、自身が犯した多くの犯罪、銃による傷害事件、強奪、脅迫、拉致などを行ったと主張された。ジェンギズ・ヌルチンの死後、弟であるユヌス・ヌルチンが組織をまとめようとしたこと、2008年8月24日にアヴジュラルにあるナイトクラブでC.K.さんを連れ去り暴行を加えた容疑で起訴されているジェスィム・G.を、刑務所から出させて組織のリーダーにしようとしたことが表記された。

■裸の写真を撮って脅迫した

起訴状では、ヌルチンマフィア集団が行ったとされる17の事柄が説明されており、殺害されたジェンギズ・ヌルチンとその仲間が、遠い親戚であるN.Ö.を誘拐して監禁し、殺害を仄めかしながら脅迫して5万トルコ・リラを要求したこと、金を出させるためにN.Ö.を裸にしてペットボトルの上に座っているような格好の写真を撮ったことがわかった。

■自殺した親戚のために慰謝料を請求

起訴状には、2009年6月7日にある建設現場から落下して死亡したゼキ・Ö.の兄エンフィト・Ö.が、親戚であるジェンギズ・ヌルチンに事情を話して助けを求めたこと、ヌルチンとその仲間が慰謝料として建設会社の共同経営者を殺害を仄めかしながら脅迫して100万ドル請求したこと、その後この額を50万ドルに下げたことが記載された。

■告訴させないために、殺害した妻の家族を脅迫

起訴状にはまた、C.K.さん暴行事件にも関与したと言われているジハンギル・N.が、暴行を加えたり殴ったり侮辱した妻デリヤ・N.の家族を訪れるため、アールに何度か行ったことが明記されていた。ジハンギル・N.は、妻と2人きりになるため、またイスタンブルに連れ戻すためにアールに行き、デリヤ・N.をアールからイスタンブルに連れてきたこと、ウムラニエの家の寝室で妻の頭に4発銃を撃って殺したことが書かれている。

デリヤ・N.が殺害されたことに関し、ウスキュダル重罪裁判所でジハンギル・N.の裁判が開かれ、死んだマフィア集団リーダーのジェンギズ・ヌルチンが、デリヤ・N.の母親ムニセ・Y.と父親ジェマル・Y.を脅迫して告訴しないようにさせたことがわかった。ジハンギル・ヌルチンが妻デリヤ・N.を殺害したことは、マフィア集団の組織的な意図ではないこと、デリヤ・N.の家族を脅迫したジェンギズ・ヌルチンもすでに死んでいることから、この事件は起訴状上で起訴事項としないことが明記された。

■マフィアのリーダーだ

容疑者のひとりであるエロル・ヌルチンは、2009年11月28日に、犠牲祭の親戚訪問から車で帰ってきて駐車しようとしいたカーディル・K.さんに対しヘッドライトを点けて合図をしたこと、車の窓から顔を出して後ろを見ながら「何だよ」と言ったカーディル・K.さんに、「何で道をふさぐんだ」と叫んだことが書かれている。マフィア集団の男たちはカーディル・K.さんを引きとめて、脅迫したが、カーディル・K.さんが謝ったことにより、事なきを得た。

殺害されたリーダー・ジェンギズ・ヌルチンの妻であるエスメル・ヌルチンは、この事件に関してエロル・ヌルチンと話をし、「カーディル・K.の家に行こう」と言い、「家に言って、つばを吐きかけて顔を叩いてやる。そしてこう言ってやる。『お前は馬鹿か、うちらを誰だかわかってるのか。マフィアのリーダーだ』って」と言った。

起訴状には、エスメル・ヌルチンが周囲に「マフィア組織リーダーの妻だ」と言って、組織内での立場を使って、組織の一員であると言われている何名かを自分の都合の良いように利用したと記載されている。

ユヌス・N.、ビュレント・N.、アフメト・N.、ギュヴェン・Ö.、ギョクハン・Ö.を含む45人の容疑者(うち8人は逮捕された)について、犯罪を実行するために作られた組織の維持、メンバーになったこと、マフィア組織であると知っていながら手助けしたこと、計画殺人、悪質な強奪、脅迫、人の自由を剥奪したこと、不法侵入、故意に発砲したこと、組織的に銃の売買を行ったこと、無許可の銃の所持、犯罪の跡の隠蔽などの様々な罪により、懲役3年から終身刑にわたる判決が求められた。

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( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:20099 )