最初の国民投票はどこでいつ行われたのか?
トルコにおける国民投票の伝統はどのように発展したのか?
世界の他の場所では国民投票はどのようなものなのか?
国民投票について皆さんが関心のある全てのことをお教えしましょう…
■レフェランダムとは何か
レフェダンダムという言葉は、ラテン語の「相談する、申し出る」という意味に相当する「referre」という動詞から派生した。直接民主主義のもっとも明確な例のひとつであるレフェランダムでは、国民がある問題について承認または拒否の票を投じることが求められる。レフェランダムの根源は紀元前4世紀、ローマ帝国時代まで遡る。レフェランダムという言葉に近い意味で使われる「plebisit」という言葉もこれを指す。Plebisitとはローマ帝国で特権を持つ少数派である「パトリキ」以外の「プレブス」(社会全体を構成する一般の人々)が、特に法組織が下した決定について承認投票することを意味する名詞である。
■トルコ共和国憲法におけるレフェランダム
トルコで国民投票がどのように行われるかはトルコ共和国憲法の第67条に、国民投票で決せられる憲法改正の手順は第175条に明記されている。世界には、議論中の法改正もレフェランダムにかけられる国もあるが、トルコにおいては、レフェランダムは今日まで憲法改正についてのみトピックとなっている。
■トルコのレフェランダム
トルコ共和国の歴史上、今日まで合計5回のレフェランダムが行われた。国民投票にかけられた1961年憲法と1982年憲法のほか、トルコは、1987年9月12日クーデター後に設けられた政治活動の禁止の撤廃について、そして1988年には当時の首相、トゥルグト・オザルの要求による地方選挙の前倒しについてレフェランダムを行った。この投票は同時に、トルコの歴史において「反対」票が「賛成」よりも多かった唯一のレフェランダムとなった。
■前回のレフェランダム
最後に、2007年にアブドゥッラー・ギュル大統領の就任についてのレフェランダムが行われた。ただ、大統領選出危機はレフェランダムの前に行われた憲法改正により乗り越えられ、ギュル大統領はその職務に任じられた。このためレフェランダムは必要以上に冷静な環境で行われ、参加率も非常に低くなった。国民のうち、ただ68パーセントだけが投票を行った。
(以下、各国における「国民投票」については、略)
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( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:20136 )