イスラム研究センター長とのインタビュー
2010年10月03日付 Zaman 紙


イスラム研究センター(İSAM)のセンター長であるメフメト・アキフ・アイドゥン教授は、法律家であると同時に神学者でもある。博識でおしゃべり上手。アクダマル教会に95年ぶりに十字架が設置されたことの意味や重要性、イスラム文明における非ムスリムの権利について我々は話した。10ページに及ぶ私たちの対談の全てがインターネットのページで読むことが出来る。教授は歴史的提言をしている。彼が言うには、アヤソフィアでの礼拝を認めよう、そして二つの宗教の信者らが来られるようにするといい、ここでそれぞれの礼拝をすればいいと。平日はムスリム、週末はキリスト教徒が自らの言葉で神に祈るようにするといい。これは大変興味を引く提案だ。歴史上例のない事例である。これが認められるか、賛同者を集めても成功するか、私には分からない。しかし議論する価値のあるものだ。

インタビュアー:アクダマル教会に設置された十字架への抵抗は、1914年から1918年に起こった事件にのみ関連するとお考えですか?それともこうした抵抗は、トルコ人の歴史認識の喪失やイスラム的本質理解の弱体化に関連しているとお考えですか?

―トルコ人の間で十字架に反対する抵抗感があるとは思いません。何故なら、国民の文化的遺伝子は50年や100年では構築されるのではなく、1000年、2000年で構築されるものだからです。私たちの社会的、文化的遺伝子において確かにイスラムはとても重要な位置にあります。イスラムには他の宗教に対し、少なくとも確かな寛大さがあります。特に神への礼拝がなされる場所つまり礼拝所に、どの宗教のやり方で礼拝しようが、敬意をはらっています。

もともと 世界宗教には、信教と良心の自由という考え方にあまりなじまない傾向があります。どうしてかといえば、世界宗教は、全人類に対し、一つの信仰と価値観のシステムを持っていて、それが絶対に正しいということを信じているからです。すると、皆がこのシステムの中にいることを望むことになるからです。イスラムもこのような世界宗教のひとつです。しかし、イスラムはその教えの中で、「強制しないこと」をルールとして定めています。コーランには、「我々の宗教において強制はない。なぜなら、正義と誤りは、明確に区別されているからだ。望む者は信仰すればいい、望まないものは信仰しないでよい」とあります。何故ならイスラムにおいては、真摯に信仰することが基本だからです。我々の宗教において強制がないことは、同時に他の宗教の礼拝所に対する敬意も生み出しています。そういうことからして、私たちが全般的に、教会や十字架に対しネガティブに考えているとは言えない。しかし、それまで当たり前のことだった「共生」が、共和国の時代に、文化的に一つの傷を負ったことは事実です。

インタビュアー:つまりこの(十字架への反発という)状況を、私たちの歴史認識の喪失と関連があるとお考えですか?

―はい。ある意味、そうです。しかし、このことをあまりおおげさに考えてはいけないと思います。様々な宗教や信仰の共生という、最も道理にかなったと思われる考え方は、多くの帝国のなかで実践されてきました。これはただトルコ人に特有のものではありません。しかし、歴史上、もっとも現在に近い時代に、そして最もうまく適用したのはオスマン帝国でした。

インタビュアー:しかし、ムスリムはイスラム宗教をただ一つの正しい宗教として見ています。

―それも一つの事実です。全ての宗教の信者にとっても、それは同じことです。キリスト教徒がもし自分の宗教をただ一つの正しい宗教として見ていないなら、彼の信仰には問題があると言えましょう。ムスリムも自分の宗教を正しい宗教だと考えています。しかし、ムスリムは、他の人々がそれぞれの宗教を生きることも認めています。

インタビュアー:(今回のアクダマル教会への)十字架設置は、全ての技術的、心理的、そして政治的な障害をようやく乗り越えたものですが、すこし遅きに失したということはありませんか?

―信徒のいる教会を、博物館や、廃墟の礼拝堂のままとしておくことは、私の気持ちとして許されないことです。それゆえ、アクタマル教会をもう一度礼拝堂として再開することは適切なことだったと思います。つまりトルコは自分たちの(共生という)歴史的習慣に徐々に戻っているということです。他の信仰システムと共に存在することを受け入れ始めている。この教会で、いつでも宗教儀式をおこなうことが認められるかもしれない。オスマン帝国は、信徒を抱える教会へ干渉することはなかったのです。

インタビュアー:タイイプ・エルドアン首相は、自分の祖先(オスマン人)は教会を恐れなかったのに、なぜ私が恐れる必要があると言っています。しかし、オスマン帝国ではは誰も教会の鐘の音を恐れていなかったのでしょうか?鐘の音に対して何の規制もなかったのでしょうか?

―私が知っている限り、教会の鐘を鳴らす時間は、厳格に決まっているわけではありません。少し早いこともあるし遅いこともある。しかし、(礼拝を呼び掛ける)アザーンには決まった時間があります。朝のアザーン、正午のアザーン。午後、日没後、夜半のアザーンというように。歴史史料をみると、鐘を鳴らすにあたって次の制限があったようです、つまり、アザーンが読まれているときに鐘を鳴らすことは良しとされなかった。アザーンより前か後なら構わない。これを重要な規制であったとは言えないでしょう。ヨーロッパでは未だにミナレットの建設、ミナレットからアザーンが読まれることに対して厳しい規制があることを考えれば、イスラム社会が非常に進んでいると認めることが出来るでしょう。

インタビュアー:鐘は一日に何度鳴らされるのですか?

―鐘は、一日の礼拝の時間に鳴らされます。キリスト教徒の日々の祈りは、非聖職者の場合は、私が知っている限り、一日一度です。そしてこの時間を、それぞれの教会が自分で決めています。しかし、イスラムではそうはいかない、決まった時間があります。預言者ムハンマドの時代に行われた礼拝の方法、行われた時間とそって、今日もお祈りが行われています。鐘を鳴らすのをムスリムのアザーンの時間と重ならないようにすることは、鐘を鳴らすキリスト教徒にとって重要な制限とはいえないでしょう。この点から、私はこの教会が再開されることにも、十字架の設置にも、鐘を鳴らすことに対してもなんら不快感を抱くことはありません。(後略)

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:清川智美 )
( 記事ID:20303 )