オジャラン・シリア追放から12年、南東アナトリアで緊張
2010年10月09日付 Radikal 紙
アブドゥッラー・オジャランのシリア追放に抗議するため多くの郡でストライキが行われた。ユクセコヴァとジズレでは事件が起こった。
アブドゥッラー・オジャランのシリア追放12年周年に抗議するため、ハッキャーリと同県各郡の全域とヴァンの一部で店のシャッターが上げられなかった。ハッキャーリと各郡では交通が止まった。
1998年10月9日はオジャランがシリアから追放された日であるため、ハッキャーリ市街地、ユクセコヴァ、シェムディンリ、チュクルジャでパン屋と当番薬局を除く職場でストライキが行なわれた。大小の通りが沈黙したハッキャーリや各郡では車の所有者たちも「エンジン停止」運動を行った。事件の発生に備え広範な安全対策が取られた。
■ ユクセコヴァで事件
シャッターが下ろされたユクセコヴァ郡では正午ごろシェムディンリ道路、サバンジュ交差点、エセンテペ地区に子供を含む一団が集まり、道にバリケードを作って火をつけた。
デモを行った人々が警察の警告に対し投石して反撃すると、警察が介入した。警察は路上のバリケードを装甲車で一掃しようとし、デモ実行者たちを催涙弾と加圧水で解散させようとした。
ヴァンでは路地のいくつかの店が閉まっているのが見られた一方、主要道路では通常通りの生活が続けられた。
■ ジズレは混乱
シュルナク市街地やジズレ郡でもオジャランが1998年10月9日にシリアから追放されたことに抗議するため、小売店主たちが店を閉める運動を行った。シュルナクでは小売店主の90%が店を開けなかった。集中的な安全対策がとられた市街地では早朝自分の店を開けようとした幾人かの店主は、他の店が閉まっているのを見て自らもシャッターを下ろした。
シュルナクのジズレ郡でも小売店主はオジャランのシリア追放に抗議して店を開けなかった。午前9時半頃ジュディとヌル両地区をつなぐイディル高速道路上に、子供多数を含む30人が集まり、火をつけたタイヤで道を封鎖した。子供たちはクルド労働者党(PKK)とオジャランを支持するスローガンを叫び、その後路上に立つ高速道路の建物に石を投げた。装甲車で現場に向かった機動隊はガス爆弾を使ってデモ隊を解散させた。路地に逃げて警察に投石したデモ隊の1人が逮捕された。ジズレでは薬局、パン屋、茶店を除くあらゆる店舗がまだ閉まっており事件が拡大しないよう機動隊が集中的な対策をとった。
■ バトマンではビラが影響
バトマンで「バトマン人民イニシアティブ」と名乗るグループが町で昨日不正なビラを配布した。配られたビラでは今日店舗を開けない、エンジンを切る、仕事や学校に行かないなどの行動を行うことを求められていた。ビラによって町の店舗の70%が今日は開けられなかった。
シュルナクのシロピ郡でビュンヤミン・ユルドゥズ郡長は小売店主らに対し、「騒乱を招くため今日、店のシャッターを閉じるよう要求する人々は、明日にはあなたたちからお金と、山岳部(のキャンプ)に連れて行くため子供たちを要求するようになるだろう」と警告を行なったが、小売店主たちは聞き入れず、今日店舗を開けなかった。
シロピ警察本部の地域警備チームは昨日の夕方小売店主たちと話し合いを催した。会議で話したシロピのビュンヤミン・ユルドゥズ郡長は、トルコ人とクルド人を互いに決裂させようとする勢力は決して願みを達成できはしないとした。
(中略)
■ デリキでもストライキ
マルディンのデリキ郡でも小売店主たちは店を開けなかった。集中的な安全対策が取られたデリキ郡中心部では、薬局、パン屋を除くあらゆる店舗が開けられなかった一方、ミニバスやバスは郡と郡の間で運行された。
テロ組織の首謀者アブドゥッラー・オジャランがシリアから追放されて12年目となるこの日に、抗議のため、アールのドウバヤズト郡とムシュのブラヌク・マラズギルト両郡でも店舗が開けられなかった。
アールのドウバヤズト郡とムシュのブラヌク・マラズギルト両郡でパン屋と薬局を以外でシャッター閉鎖運動が見受けられた。シャッター閉鎖運動のため警察は厳重な治安対策がしいた。
同時にムシュではクルディスタン社会連合トルコ議会(KCK)に向けた作戦に抗議するために昨日記者会見が行われ、覆面して参加し警察に逮捕された7人の 平和民主党(BDP)支持者は、未勾留のまま起訴されることになり、釈放された。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:20348 )