アフメト・チュルク氏から和解の饗応
2010年10月10日付 Hurriyet 紙


民主市民会議(DTK)議長であるアフメト・チュルク氏の「チュルク部族」と「テメッリ部族」との間で26年間続いていた「血の復讐」に終止符を打つため、2週間前にテメッリ部族主催にて和解の食事会が行われた。そして今回、アフメト・チュルク議長のカスル・カンジョという名の由緒ある別荘にて2度目の食事会が行われた。築140年の邸宅にて行われた村の和解食事会には約15000人が参加し、招待された人々のために1000頭の家畜が屠られ、それらの肉によって食事が用意された。カスル・カンジョには早朝から、車で訪れた招待客たちが長蛇の列をなしていた。予め設置されていた34張りのテントでは収容しきれなかったため、建物の前に長い食卓が用意され、そこで客人たちはもてなされた。

この和解食事会でスピーチをした平和民主党(BDP)のセラハッティン・デミルタシュ党首は、そろそろ政府によるクルド問題解決のための現実的な政策が提起されなくてはならないと述べ、以下のように話した。「BDPの解決に向けた提言をどう考えているのか、それを聞きたいのです。具体的かつすべての人の耳に届き、理解できる形で の政府からの解決に向けた提言を期待しています。(ドイツの)メルケル首相や(シリアの)アサド大統領とこの問題について話し合っても、クルド問題は解決されません。このことは最早誰もが知っています」

この和解食事会のためにディヤルバクルやマルディン、そしてシャンルウルファからやって来た人々は、早朝からカスル・カンジョへ続く道に数キロメートルにわたる車の列をなしていた。クズルテペ市 の職員たちは駐車整理のために車を誘導し、また招待客たちのために村の中心地には34張りのテントが設置された。それらのテントでは収容しきれないことがわかると、そのテントの横にテーブルや椅子が置かれたが、これらを以てしても足りず、最終的には建物の前に広がる村の広場に食事のための座卓が用意された。

■1000頭の羊が屠られた
この和解食事会のためにチュルク部族の女性たちは、朝日が昇るのとともに邸宅の庭に設置された何百もの竈で、1000頭の家畜を屠って得られた肉を饗宴のために料理した。その一方でアフメト・チュルクDTK議長は、訪れた人々を一人一人出迎えた。この食事会にはセラハッティン・デミルタシュBDP党首やギュルタン・クシャナクBDP副党首、ベンギ・ユルドゥズ氏やスッル・サクク氏、アクン・ビルダル氏、ハシプ・カプラン氏、ヌーリ・ヤマン氏、そしてネズィル・カラバシュ氏といった国会議員たちのほか、この地域のBDP所属の市長やBDP党員ら、約15000人が参加した。チュルク部族とテメッリ部族の人々がテントに集まると、平和の(象徴である)鳩が空へ放たれた。アフメト・チュルク議長は、訪れた人々の一人一人の世話をし、すべての客人たちに感謝を述べた。カスル・カンジョとテントの張られた場所の間にある約200メートルの道には、若者たちが列を作って並び、次から次に客人たちへ料理が手渡しで振舞われた。

この和解食事会にて記者たちへ会見したセラハッティン・デミルタシュBDP党首は、この地域でこのような大きな部族間に和解が成立したことは容易なことではなく、この対立は25年から30年も前に遡るものだとし、以下のように述べた。

「部族間の抗争という問題です。(今回の和解は)地理的に広がっている50から60以上の村に関係する和解です。この種の困難な問題さえも和解という形で解決されえるならば、国の平和という観点からも重要な参考例となるでしょう。ここでは和解の実現のために、本当の和平のために努力した両部族の人々や和平議会、市民団体、有力者たちが何度も両者と、話し合いを行ないました。そして両部族もそれぞれとの話し合いを実現させました。この話し合いの結果、抗争や敵対関係が誰にとってもメリットのないことや、現代世界において友愛の精神をもってともに暮らすことがよい解決策であることがはっきりしたのです」

■「トルコ人とクルド人の間に敵対心はない」

デミルタシュBDP党首は、トルコにおける和平へ向かう道もこのような方法で進められる必要性があると述べ、以下のように話した。

「結論として、トルコ人とクルド人の間に敵対心はありません。トルコ共和国の公的な政策とクルド人市民の間には問題があるだけです。この問題が(解決に向けて)進展することは、和平へと向かう道においてとても重要な一歩となるでしょう。どちらの側も、解決のために努力するすべての人の声に耳を貸さなくてはいけません。政府もクルド労働者党(PKK)も、調停者の努力を真摯に受け止める必要があります。

和平はこのようにしてのみ実現するのです。今、一方の側が(問題を)真剣に受け止め、停戦を宣言して準備を整えている一方で、反対側ではこの和平の実現のための機会を価値あるものと見なす代わりに、シリアやアメリカ、イラク、イラン、そしてヨーロッパ諸国と会見を行い、越境攻撃への容認をとりつけ、その傍らで政治犯を捕まえているようでは、和平は生まれません。われわれはみな、今この時期に政府が重い腰をあげ和平のための具体的な一歩を踏み出すことを期待しているのです。

これはBDPが頼み込んで行う要請ではありません。平和を望むことはすべての人々の権利であり、誰もが要求できるのです。すべての人々要求するべきことなのです。われわれは政府に和平を要求していますし、政府もこれに応えなければなりません。このために、近々政府からついにクルド問題解決についての本格的な政策が出されることを期待しています。BDPによる解決に向けた提言をどのように考えているのか、それを聞きたいのです。具体的かつ誰もが理解できる形での政府の解決に向けた提言を期待しています。メルケル首相やアサド大統領を使っても、この問題は解決されえません。これは誰もがわかっていることです」

■「和平の風がトルコに吹き渡ってほしい」

和解食事会を主催したアフメト・チュルク議長も、結ばれた和解が本当に衝突もなく平穏に進むことが、自身たちにとってとても大きな意味をもつことを強調し、以下のように話した。

「二つの部族間における和解です。われわれすべての願いは、この和平の風がトルコ全体に吹き渡ることであり、すべての中東諸国にも吹き渡ることです。世界中で人々や文化が互いに敬愛の心をもって寄り添い、友愛の心をもって暮らす理解が進むことを望みます。われわれの願いは平和です。どんな時も平和のために努力しています。トルコにとっての和平とは、もちろんクルド人たちとのことです。クルド人たちの権利や自由に関する要求が受け入れられたならば、和平への扉は開かれます。友愛の扉も開くでしょう。もしわれわれが互いに敬愛心をもって寄り添い、互いをよく理解することができたならば、この国にはいかなる問題も起きないでしょう。私はこの信念から願っています。人々が素晴らしい日々を享受することを」

■「血の復讐」の過去

アフメト・チュルクDTK議長が部族長を務める「チュルク部族」と「テメッリ部族」間の敵対は、1984年に始まった。この地域の最有力部族の一つであるメティナン部族と繋がりをもつテメッリ部族の有力者であったジェブライル・テメッリ氏とシェリフ・テメッリ氏の乗っていた自動車が、デリキ郡からボズバユル村へ向かう途中で身元不明者たちにより自動小銃で銃撃された。この事件でジェブライル・テメッリ氏は死亡し、負傷したシェリフ・テメッリ氏は4本の指を失った。

テメッリ部族は、この事件がテロ組織であるPKKが遂行したものであるにも関わらず、彼らを扇動する人々は、アフメト・チュルク議長率いるこの地域のもう一つの有力部族であるチュルク部族であると主張して(チュルク部族に)恨みを抱くようになった。マルディンのほかディヤルバクルやシャンルウルファにまで影響力をもつチュルク部族からは、多くの人がPKKに加わった。これに対抗して、テメッリ部族の人々の一部は(政府側の)村落守備兵となった。PKKに対抗して組織され、軍事作戦にも加わったテメッリ部族の約60人の村落守備兵は、近年では20人にまで減少していた。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:20356 )