デミルタシュBDP党首、「クルド人の要求は独立ではない」
2010年10月22日付 Radikal 紙
平和民主党(BDP)のセラハッティン・デミルタシュ党首は、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相を批判し、「首相はこの国の中での『スルタン制』に慣れてしまった。(彼は)この国の首相としていかなる制約も受けないことを望んでおり、それに非常に満足している」と語った。「クルド人がもし独立計画を放棄するとすれば、その最大の理由は、民主主義に対する信頼です。なぜなら政府イコール、民主主義ではありません。その政府がクルド政府であったとしても、(自動的には)民主主義はもたらされないでしょう。」
GAP(南東アナトリア・プロジェクト)自治体同盟は、ディヤルバクル広域市管轄のスメルパルクで、2日間にわたる「ヨーロッパ地方自治体の自治条件とトルコの地方自治に関するワークショップ」を開催した。ワークショップには、BDPのセラハッティン・デミルタシュ党首、同盟メンバーである各自治体の市長、アンカラ大のルーシェン・ケレシュ教授、イスタンブル大のニハル・インジオール教授、マルマラ大のイブラヒム・カブオール教授、ドクズ・エイリュリュ(9月9日)大のゼッリン・トプラク教授、キプロス大のニヤズィ・クズルユレキ教授、コジャエリ大学のセヴタプ・ヨクシュ教授、スレイマン・デミル大のアフメト・オゼル教授が参加した。
■バイデミル市長「6年間自治体モデル構築に努力してきた」
ディヤルバクル広域市長のオスマン・バイデミルは、このワークショップで、ヨーロッパの地方自治体の自治条件とトルコにおける地方体がさまざまな角度から検討されることになると語り、この会議が、地域と国に重要な提起になるだろうと述べた。彼は、地方自治に関するこのテーマが他の国では普通に認識されているとし、次のように発言した。
「他の国では普通の行政上の問題として認識される地方政治ですが、トルコでは、「地方自治」は、大きなクルド人問題―それは、問題が山積し、民主主義の難点を多く抱えています―としての面ももっています。ですから地方自治と呼ばれているものくらいで、この問題が解決するのか、といった考えも出てきています。しかし、この職にあると心痛が多く、なんに対しても、これは(クルド問題解決の)薬になりえるか、という目で見るようになります。
正義と自由の問題として我々が認識するクルド人問題は最も一般的な意味で、民主主義の問題として扱うことができます。この文脈でヨーロッパの地方政治・自治の条件と、根底から変化が必要なトルコでの地方政治の実践が、同じテーブルにのせられるのでしょうか。ます、我々が必要とし望んでいた地方自治について、そのモデルを構築する努力を行ってきたことを説明しておきたいのです。6年間、旧来の自治体のあり方を変え、徐々に自身たちの内部の変化として、EUの地方自治の自治条件が自治体に認めている権利を、外に示そうとしてきました。
私がそういうと、何人かの人々は、「市長、こうした一歩を踏み出しさえしなければよかったのに。なぜなら、こうした一歩を踏み出した仲間の多くは刑務所に入り、非合法組織のメンバーだとされている」ということでしょう。そうです、民主主義に到達するのは容易なことでありません。
本日は、このすぐ近くで開催されており、我々も加盟しているヨーロッパ自治体会議の集会、さらには、やはり我々も加入し会長も務める「世界統一都市自治体組織」(すなわち、世界のすべての自治体をあつめた組織)において、この点が徹底的に議論されています。こうしたことが行われている一方で、我が国では、この問題が議論されること自体がまれなのです。いったい、今日の会議を出発点として、問題の解決へ向かい、その結果として、トルコの他の都市でも議論ができるようになるでしょうか。そして、こうすることで、トルコの抱える緊急の問題や多くの問題へ、解決の戸を開くような地方自治について、意識を高めることに貢献することができるでしょうか。
私は楽観的に考えています。これは、人々が現実的に対応していうことに起因しています。通りで、地方行政が行った住民サービスを通じて、市民から学ぶことがたくさんあります。彼らは、本当にものをよくわかっているのです。市民の参加について、抵抗を恐れず、心配もする必要はありません。
■デミルタシュ党首「首相はスルタンのよう」
平和民主党のセラハッティン・デミルタシュ党首は、エルドアン首相を、「スルタンのようだ」と批判した。トルコ全体について、また、民主的な地方自治モデルについて自分たちが考えている「民主的自治プロジェクト」に関し、エルドアン首相が、しばしば、ある表現を用いる、と指摘し、「首相は、「この国の国土に対し、この国の1平方メートルに対し、だれかが手術をすることを認めない」と言っています。これは、民主的自治制に関するBDPが示している案に対していっていることです。これほど、先入観に満ち、特に、わが党が示したプロジェクトに対してトルコ世論の一部で先入観に満ちた議論がなされているときに、一国の首相が、この先入観を補強するような発言をしていいとは思えません。まるで、BDPが国土に対し、手術をする気でもあるかように、そして、それを阻止する任務を首相が帯びているかのように、トルコの世論に向けて語っています。これだけでも、一種の大衆迎合的ななやり方です。何が、首相の気にさわるのか。首相は、いわゆる「スルタン制」に染まってしまっているのです。
この国で首相として、何一つ権限を制限されることを望まない。それならとても、満足。なぜなら、80年前にトルコ共和国ができたにもかかわらず、民主的な個人が育っていないために、政府や政権は、民主的な行政モデルを人々に提示することができなかったのです。どの政府も自分たちのところに権力を集中させ、とくに、行政と政治と統治で、全ての権利を首相に集める一種の「スルタン制」を作り出したのです。特に、ここ8年間のAKPの政治は、これをさらに強化しました。」
(中略)
■クルド人の要求は独立ではない
トルコで暮らすクルド人として、権限を集中した国家は、民主主義に反していると考えているというデミルタシュ党首は、次のように述べた。「それゆえ、民主主義を広汎に広げ、人々が民主主義に接することができるようにするため、現在の条件のもと、少なくとも、最も多くの人々の賛成の得られる民主主義と、直接的な民主主義を、いかに作り出せるだろうか、それをとい求めています。もちろん、これは、今日や明日に実現できるようなものではないでしょう。しかし、もしクルド人が、独立国家樹立の夢をあきらめたとしたなら、その最大の理由は、民主主義に対する信頼からであることは、よく理解してもらいたい。なぜなら、国家イコール民主主義ではないからです。たとえそれが、クルド国家であろうとも、独立したら民主主義になる、というわけではありません。重要なことは、行政モデルがどれだけ国民に開かれたものであり、どれだけ民主主義にセンスィテブであり、参加者にオープンであるかにかかっています。これゆえ、民主的な連邦制を主張するのは、独自統治モデルとして、わが党が民主主義を信頼しているからなのです。これは、トルコの明るい未来のためのプロジェクトです。同時に、クルド問題解決のための我々の提案は、近代的で民主主義的なものです。
我々以外のなにものもクルド問題解決や、トルコの行政モデルに関し、明確なビジョンをもってはいません。議論の見通しをもっていない。これは、トルコにとって考えてみると、非常に残念なことです。今日、言語問題、母語教育問題、宗教問題、さらには、少数者、すなわち、非イスラム教徒やアレヴィーの人々の問題が解決されていないのは、中央政府の非民主主義的な理解が、その要因の一部となっています。それゆえ、こうした、「異なる人々」が、自分自身を、自由に表現できる自治区モデルは、トルコの関する全ての問題を解決する鍵となるのです。」
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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:20469 )