巡礼帰りの人を訪問することは、特に子供たちにとってとても楽しみなこと。お土産が貰えるからだ。しかし、昨今こうしたことがエスカレートしている。数珠やナツメヤシの代わりに、真珠やガラス玉がお土産となっているのだ。
お土産の心配をするハッジ(巡礼の義務を果たした人)は、信仰に専心すべき時間を買い物に割いている。巡礼シーズン間近な折り、お土産はどの程度のものがいいのか、神学者で作家のジェミル・トクプナル氏にお話を伺った。
イスラム教徒たちが、人生に一度は実現したいと夢見る義務がハッジ(巡礼)である。我々の多くが、聖地を訪れることを夢見るが、今日においては一部のムスリムしかその幸運な義務を実践できない。トルコ中から、祝福されて嬉しそうに巡礼団が送り出される光景を、テレビや新聞で目にする。あるいは我々の身近なところでも、自分に近い人を聖地に送り出している。
そして今から彼らが戻ってくるのを心待ちにしている。こうして巡礼から帰ってきた人を我々は『ハッジ』として迎えるのであり、このハッジとなった人々は家々へ、今までとは違う落ち着きと充足感をもたらす。そして、周囲をムスクのようなハッジの香りが包み込み、お土産の礼拝用絨毯、数珠、指輪などによって、巡礼の神聖な雰囲気を我々も味わうことができる。しかし、昨今このお土産が少々エスカレートしている!巡礼へ赴く父、母、祖父、祖母にお土産リストを渡して、巡礼に送り出しているのだ、真珠、時計、衣服、ショール・・・などなど。実際、このようなもの全てトルコで手に入れることはできる。しかし、聖地から持ってきたものであるということやデザインが違うということで人々を惹きつけている。
■ 信仰にむかうべき心がお土産に向けられている
そうした結果、イスラムの五行の一つを実践するため、メッカ・メディナにやって来たハッジ候補者の頭の中は、お土産のことでいっぱいである。また当然これには金銭的な問題も伴う。巡礼後のお土産配りは、今日少々エスカレートし、その結果巡礼出費もかさんできている。このため我々の中には巡礼を、1,2年延期する人さえいるのを知っている。つまり我々は、巡礼後のお土産配りが悪いことだとか、間違っているといいたいわけではない。ただ少し度が過ぎているということを言いたいのだ。神学者兼作家のジェミル・トクプナル氏に、『程よい程度とはどれくらいか、そもそもお土産を買う必要があるのか?』といった質問をした。
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一番ふさわしいお土産はナツメヤシとザムザムの水
■巡礼後のお土産配りについて、宗教上何か決まりごとはあるのですか?何よりもまずお土産を買う必要あるのですか?
巡礼に言った人がお土産を配ることは、巡礼規則の中にはいっていない。お土産を配らなかったからと言って、巡礼が不完全になる、ということはない。しかしお土産を配ることは、いつでも行われるべき素晴らしきスンナ(慣習)だ。巡礼に行くムスリムを訪問し、しばしの別れを惜しんだり、プレゼントを渡したり、可能なら見送りを行い、また戻ったなら祝福のため訪問することは、素晴らしき行為である。ハッジが、友人や親戚にお土産を買ってくることも喜ばしい習慣のひとつだ。しかし、これら全てのことは、時間があって、あくまで出来るときに限る。
■ お土産はどれくらいが適当でしょう?
巡礼土産の程度は、預言者ムハンマドに倣うべきだ。お土産は、誰もが、その懐具合に合わせるべきだ。お土産を渡す人それぞれが、同じようにお土産を渡すことはない。金持ちもいれば、貧しい人もいるからだ。しかしながら、巡礼に行く誰もが、配るお土産分の費用を、巡礼費用の中に組み込まざるを得ない状況になっている。
■ あなたにとって一番うれしい巡礼土産は?
一番素晴らしいお土産は、ナツメヤシとザムザムの水だ。少し金銭的余裕があるなら、タッケ(縁なし帽)、数珠、礼拝用絨毯といったものがある。巡礼に行く者にリクエストする者たちさえ現れた。しかし、ハッジは、聖地では信仰に専心すべきである。
■ お土産を聖地で買うことに何か問題はありますか?
いかなる問題もなし。私は、巡礼に行った時、可能な限りタッケ、数珠、礼拝用絨毯をそこで買ってきた。メディナで持って行った礼拝用絨毯を紛失したので、そこで新しい絨毯を買った。であるからして、金銭的余裕のあるものはお土産をそこで買ったら、気分のいいものだ。ただミスヴァク(小枝の歯ブラシ)のようなお土産はそこでしか買えない。
■ バザールに行ったら、買い物熱が冷めてしまった
アンカラに住む元土木技師のムスタファ・ヨルジュさんの話は、お土産のことで頭がいっぱいになったハッジ候補者の最も良い例だ。ムスタファさんは、メッカでバザールに行き、ショーウィンドウを見始めた時、これではせっかくの巡礼がダメになると感じた。そこで自分自身に言い聞かせたそうだ。「ザムザムの水とナツメヤシ以外は買わない」と。ムスタファさんは、ただ数珠のようなお土産は巡礼に行く前にアンカラで調達したそうだ。訪ねてきた友人へは、お土産としてこれらのものをあげた。「皆にお土産をあげることよりずっと、ザムザムやナツメヤシをプレゼントしたり、聖地の素晴らしさを説明してあげたりしなくてはならない。そのことが一番のお土産だよ」と、ムスタファさんは語った。
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( 翻訳者:大久保はるか )
( 記事ID:20523 )