PKKリーダー・ムラト・カラユラン、インタビュー
2010年10月28日付 Radikal 紙


PKK(クルド労働者党)のトルコ国外におけるNO.1の地位にあるカラユランは、市民を殺したPKKの作戦について、「あれは間違いだった。申し訳ない」と述べた。カラユランは、こうした自己批判につづき、「今後、市民に犠牲をださないよう、我々の兵に再教育をしている。もう二度と繰り返さない」という。

■アコヤン渓谷からカンディルへの道

PKKの北イラクにあるキャンディル・キャンプに着いて以来、ついつい、カン・ディルを別々に発音して口にでる次の言葉があった。「カン(血)が流れ、ディル(言葉)は途絶える。」カンディルは、まさに、この国の焦点となっている大きなパラドクスの象徴である。ある家で朝まだ暗いうちから2時間まっている。もうすぐ彼らはやってくる。私の目の前に座ることになる男は、「トルコ国家は我々を打ち負かすことはできないが、我々も国家を破ることができないことを悟った」というだろう。停戦の継続にむけ期待されている一歩を踏み出し、そして、これまでなかったほどの明解さで、イラン、アメリカ、イスラエルとの関係について話すだろう。そして、今日までだれにも言わないほど、はっきりとした約束することになるのだ。「今後、PKKを味方する市民に被害を及ぼすことはない」と。

近づいてくる車の音をきき、立ち上がり、入り口から外にでた。「メルハバ(こんにちは)」、デニズと名乗る男がいう。笑顔で話しかけてくる。「ようこそ、お疲れになったでしょう。もう出かけられますか?」

四輪駆動で2列の座席のあるTOYOTAに載り、ディヤナとランヤの間を抜けるアコヤン渓谷のなかを流れる川のような感じの道を進んでいく。イラン方面に向かい、登ったり、下りたり、ぐねぐねと曲がる。しかし、非常によく手入れされているため、気分が悪くなることはない。

TOYOTAは止まり、バックする。5分前進し、止まり、戻る。「道にまよったのですか」と、馬鹿な質問をしてしまった。山で日焼けした男は、「いや」という。「合図がくるのを待っているんだ。」 とはいえ、私が周りをみても、鳥や虫、木々、花々のほかには、合図をくれるような生き物を見つけることはできない。車は、また、止まる。「ここから先は、ちょっと歩きます」という。周りにはだれもいない。長く歩くのかもしれない。小さな小川のうえに飛び降りた。前には緑が広がっている。と、突然、何人かの武器をもった男女が現れる。無言。あたりを警戒している。その背後には、世界中で指名手配されている、PKKのトルコ国外組織のNO.1、ムラト・カラユランの姿が見える。公式記録によれば、1954年トルコのビレジク生れ。大学の機械学科の卒業。1979年にPKKに加わり、1980年クーデターの前に国外に逃げ、これまで刑務所に入ったことはない。彼は私の方に数歩すすみ、手をさしのべ、「ようこそ」と言った。

彼らも会話をテープにとっている。天井と後ろも覆われたテントの中にいる。中には机がおかれ、3つの椅子。下には敷物。靴を脱いであがる。カラヤルンは机の向こうに回る。私は横に座った。私の向かいには、組織運営メンバーの、ボザン・テキンが座る。私のテープレコーダーの脇に、自分たちのテープレコーダーもおく。彼らは私たちの写真をとり、資料として残すため、最初の数分間、カメラを回す許可を求める。私は、トルコの戦争と平和に関する最近話題の議論について聞くのではなく、PKKに関し、何年も貯まってきた疑問を払拭するつもりだ。私は質問をし、カラユランが答える。

■停戦の期限は、9月31日ですね。

私たちは、本当は恒常的な停戦を望んでいる。現在、ボールはトルコ側にある。彼らが信頼できる一歩を踏む出す番だ。たとえば軍事活動を止める、というのも、その一つだろう。オジャランとの対話のプロセスを広げることもある。最後の会話がなされたのは9月16日。前向きで、解決に向けた、信頼を感じさせるような方法で、それを実現させねばならない。今我々は待っているのであって、決定はしていない。もし否定的な態度を示されては、歩み寄りはできなくなる。時には、我々の意図に反して起きる事件もある。我々の希望は、無期限の停戦だ。対話、交渉の開始、完全停戦が我々の希望だ。ハサン・ジェマル副首相は、ある時期、「(銃の)引き金から手を離すな」といっていた。私たちだけが手をはなし、彼らはそのまま、というわけにはいかない。今が正念場だ。見守っているし、待っている。状況により決定をする予定だ。

■左派を激しく攻撃

犠牲者が出続け、PKKの若者が山中の衝突で死に続けていて、つまり、事件はそのまま続いていて、今では、血の復讐と化してしまっている中で、どうやって平和が実現できるでしょう。トラブゾンの人、マニサの人、ウシャクの人、アンカラの人を、どうすれば納得させられるのでしょうか?

もちろん、トルコの人々に対し、我々にも責任がある。自分たちの存在を彼らに紹介し、名誉ある扱いを受けようという政治的な目的はもっている。この点について、我々が十分なことをしてきたとは言い難い。しかし、これについて、元来責任をもつべきグループはもうひとつある。トルコの左派だ。我々の活動を人々に説明してこなかった。そしてトルコの左派が弱体なため、大きな亀裂が入ってしまった。偏狭な民族主義が社会に広まってしまった。クルド人の運動は、しだいに社会に広がっていったのに、左派は、社会から遠ざかってしまった。クルド人の運動を支援していると見られたら、トルコ社会で批判の的となると考え、クルド人の活動と距離をおいた。トルコの左派の、この距離をおくという態度が、彼らを社会から遠ざけた。問題解決のための課題の一つは、いかにトルコ国民を納得させるかだ。この点で、我々は努力を続けていく。

多くの場所で、PKKがやったという爆発が起きています。PKKは、「都市部で活動を活発化させる。地獄をみせてやる」といった言葉をつかっている。道を歩く一般の市民におよぶ被害と、それが生む怒りがわからないのですか?

この点でいうと、一部の事件は、我々の預かりしらないものだ。ハッキャーリー県のゲチトリの事件のように。次のように申し上げたい。近年進んでいる状況をうけ、この点で、よく教育された原則にわきまえた軍を組織したところだ。大都市部で攻撃がおきても、どこだろうと、市民の一人も犠牲にならないようにするのが、我々の基本的な原則となる。過去にはあったが、今後はもう、そうしたことはなくなる。

■「ええ、間違いがあった。」

非常に悲しい事件がありました。マーヴィ・チャルシュ事件、チェティンカヤ事件など。多くの無実の市民が亡くなりました。

ええ、我々に責任のある間違いも起こりました。時期がくれば、適当な場ができれば、我々に責任のある間違いについて、謝罪の用意はあります。弁償の用意もある。しかし、忘れないでもらいたいのは、我々がやったことでない事件まで、国は、我々になすりつけている。これに対し、我々は、我々の側がはじめた軍事行動で、市民が犠牲にならないよう、軍の全体に対し再訓練をし、徹底したことを、確かに約束することができる。もうおこらない。私が(トルコ)社会に対し、いいたいことは、このことだ。

■「正当防衛」

PKKに対し、メディアも政治家も、「テロ組織」という言葉を使っている。あなた方はテロリストなのか?

我々のやっていることは民衆運動だ。実際そうだ。我々に対し、何千回も暴力がふるわれてきた。我々は、そういう目にあってきたのだ。正当防衛の権利をテロだというなら、そうだろう。しかし、正当防衛は世界中で、国連でも認められた権利だ。我々は抹殺されようとした社会だ。権利があり、合法だ。当然の権利を要求している。この点で降参しなかった。魂を売らなかった。いつもテロリスト、テロリストと言われている。しかし、現実はそうではない。ある自由のための運動は、テロではない。しがし、権力は、全ての人を、人々の運動を、テロリストだと宣言している。

(南アフリカの)マンデラも、長年、テロリストと言われ、27年間、牢獄で過ごした。今は、「平和のシンボル」とみられている。世界中で一番有名な人の一人だ。(PLOの)ヤセル・アラファトだってそうだ。何年もテロリストといわれた。のちに大統領になった。トルコ国家によれば、我々はテロリストだ。しかし、国家は攻めてきて我々の大地を占領し、言語を禁止し、富の源泉を略奪した。我々はそこに何千年もすんできたにもかかわらず、だ。

■「我々が勝利したとはいえないが、国家も我々を打ち負かせない」

PKKが山から下りる、という議論があります。南に引く、といった選択肢も議論の対象となっている。私が思うに、PKKは、昔ほど、山岳部で勢力をもっているわけではないでしょう。PKKは縮小したのか、あるいは、都市部にうつったのですか?

都市部にもいるし、山にも。PKKは、ひとつの組織であり、ひとつのシステムともいえる。作るのは簡単ではなかったが、簡単には解体しない。根深いクルド問題がある。その問題解決の一貫として、PKK問題も解決される。今のように隣国と協力し新たな軍事作戦を行うことでは、問題は解決できない。私は、何百回という軍事行動に立ち向かってきた。我々は自分の身を、この山中で守り、経験を受け継ぐすべを学んだ。この地をすみずみまで知っている。クルディスタンの別の場所でも、生かしていくべき経験がある。一部の者はノルウェイへ、一部のものは家に帰るだろう。ここにいる人々は問題解決のためにここにきたのだ。どこにいくというのか。山から帰還することは、トルコ人やあるいはその軍隊に対し、敗北したとみなしてもらっては困る。政治的な盲目は、払拭されつつある。もちろん、我々は、勝利したとはいっていない。しかし、国際的な軍事力が我々に対し、何度、軍事行動を行なったか。しかし我々は、降伏はしなかった。必要だというなら武力闘争を続ける。その状況は、かならずや、PKKをさらに強化させるだろう。その時は、自分の解決策を自分でみつけ、発展させ、宣言するだろう。最後の手段として、それもある。しかし、降伏とか、武力制圧などは、不可能だ。しかしその一方で、我々が国家を破ることはできないことも事実だ。互いに相手を打ち負かすことができないという状況なのだ。「解決」は、この基礎にたってこそはじめて実現する。それが和平が先延ばしになれば、双方の犠牲はさらに増えるだろう。

■望みは、自治制と、「復讐」へピリオド

カラユランは、政府が、クルド人を徐々に同化していこうと計画しているとし、ふたつの解決の条件をあげる。自治制と、「復讐」へピリオドだ。

PKKは、停戦と平和構築にむけ、どのような展望をもっているのか?

本来、2つの理解、2つの解決手段がある。うち、ひとつは我々のだ。我々の対策を準備した。それは、「民主的自治制」だ。互いに敬意をもって接するという条件のもと、交渉のテーブルにつき、問題を解決する。トルコの国内に留まり、(トルコ共和国の)この強圧的な一体性を、心からの一体へと変えることだ。新憲法にもとづき、トルコの社会を新たに教育しなくてはいけない。トルコの西では、人々は大衆行動に加わり、「このPKKとはなんなのだ、いったいなんだ」と叫んでいる。そのとき首相がでてきて、「我々は、この兄弟を、何年も無視してきた、その言葉を禁じ、そして、トルコ人化することを試みた、しかしだめだった。この失敗から多くの悲劇がおきた。兄弟は互いに殺し合い、にらみあった。もうそんな風にみるのをやめようではないか。あたらしい(融和の)「理由」も生まれている。この理由ゆえに、社会的な協調の時代をはじめようとしている。法整備を行おう」といったなら、欧米は、拍手喝さいするだろう。利害関係のないものは、これで喜ぶだろう。

二つのの計画は、国家の側のものだ。国家は2008年~2009年におきたことから、クルド人根絶は無理だと理解した。AKPと軍の接近は、これが理由だ。国家は、AKPを使って新しいクルド政策を作ろうとしている。その政策とは、こんなものだ。個人の権利の範囲内でテレビ局が作られ、人々は(クルド語で)叫んでも言い、歌ってもいい。しかし、母語での教育はだめだ、というのが「解決策」だ。

■「同化」

国籍はというと、トルコ民族の枠ぐみのままだ。トルコ人のなかには、ラズ人もいる、チェルケス人もいる、クルド人もいる。つまり、おまえの存在は認めるが、システムの中に入れと。「いますぐ」というわけではないが、トルコ化のプロセスをゆっくりゆっくり受け入れよ。しばらくしたら、同化しているように、と。踊って腰をふってもいいが、問題は解決するな、と。86年間、我々は同化を受け入れなかったが、今は、漸次的な同化を、彼らは計画している。

■「平らな場所で、政治をさせてくれない」

ムラト・カラユランの言葉からは、PKKが、とくにKCK捜査とその後の裁判を重視ししていることがわかる。

KCK強制捜査の件について語りましょう。メフメト・アアルさえも、(PKKには)表にださせて政治をさせようといっていた。しかし、(その言葉を信じて表にでて)政治を行ったものを、逮捕している。PKKでもいい、KCKでもいいが、彼らが銃でももっているというのか。たとえば、フラト・アヌル氏は弁護士だ。その後、選ばれ市長となった。あんたたちは、この彼を捕まえているのだ。私はKCKの運営委員会の長だ。彼らと関係があるなら、どっちみち、私はここから指示をしている。

■「オジャランの提案を無駄にしない」

オジャランは弁護士と接見し、カンディルと政府の両方に手紙を書いたが、返事をもらっていないといっている。オジャランに答えを送らなかったのか?

オジャランの手紙には返事をした。しかし、諸般の理由で彼の手に届いていないのかもしれない。オジャランは、解決にむけ、前向きな手紙を書いた。このプロセスで起きていることを、真剣にとらえよといっている。我々は、(政府へ)疑念をもっているが、彼の努力をいかなる場合も無駄にはしない、対話のなかで戦略的に扱えるかもしれないことを、そして、運動の名のもとに、全ての対話を続けていくことを、完全に交渉の場で進められている対話を、我々はここで実践化している、と返事した。

AKPと国家は、分裂している。一方で、我々を「周辺化」するという枠組みでの、軍を中心とした準備がある。一方では、解決という様相を呈したものがある。しかし、誠意や真剣さは見いだせない。

■酒はない。タバコもやめている。

PKKに対し、ブラックマネー疑惑があります。密輸を行い、戦争でもうけていると。このため、決して武器をおくことはないだろうと。カラユランに、「あなたは、戦争でもうけている一人なのか」と問うた。答えは次のとおりだ。

これらは全てデマだ。お望みなら、何日でもここに留まりなさい。あるいは、国際監視団が来てもいい。すべての記録をおみせしましょう。なにか、ひとつでも密輸品をみつけたなら、私たちのいっていたことは嘘だったといいましょう。生活の基本として、あらゆる種類の麻薬、酒の類は拒否している。タバコはあるが、それも、やめようとしているところだ。

***

カンディルはトルコと世界の注目の的だ。カラユランは、最近では、トルコのハサン・ジェマル(ミッリイェト紙)、アンベリン・ザマン(ハベル・チュルク紙)、オスマン・サウルル(トゥルキイェ紙)、アフメト・アルタン―ヤーセミン・チョンガル(タラフ紙、電話で)と、会見した。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:20540 )