「アタテュルク死亡時刻のサイレンへ敬礼」写真の靴磨き少年、そのドラマ
2010年11月11日付 Radikal 紙


 ゾングルダクで行われたアタテュルク追悼式典中に靴を磨き、9時5分にサイレンが鳴ると同時に、立ち上がり敬礼をしたことで話題となった16歳のアイクト・ケスキン君について、1年前に母親が家を出て再婚し、父親もイスタンブルへ行ってしまったため、学校には行かずに靴磨きを始めたことが分かった。新聞などで自分の写真を見て非常に嬉しく思ったと話すケスキン君は「みんな僕について話している。嬉しくて胸がいっぱいになった」と述べた。

昨日、ゾングルダク県庁前のアタテュルク記念碑において、アタテュルク72回忌のために追悼式典が行われた。その時、ジプシー一家の2人兄弟の一人、アイクト・ケスキン君は県庁向いのリマン通りで靴磨きをしていた。(アタテュルクが亡くなった時間である)9時5分のサイレンが聞こえると、ケスキン君は靴磨きを止めて立ち上がり、お客さんと一緒に、アタテュルクに敬礼をした。

新聞やテレビで写真が取り上げられ、アタテュルクへ示された敬意の最も注目に値する例の一つとされたアイクト・ケスキン君だが、母親のバフリエさんは1年前に家を出て、他の男性と再婚し、さらに身体に障がいのある父親、サトゥルムッシュ・ケスキンさんも後を追うようにしてイスタンブルへ行ってしまったことが分かった。

家族がばらばらとなり、アイクト君と知的障がいのある18歳の兄、イスメト君は祖父と祖母の家に身を寄せている。アイクト君はゾングルダク工業高校の1年生だったが、昨年から学校に行ける状況ではなくなってしまい、2年間放課後に行ってきた靴磨きを1日中するようになった。兄と同じ名前で、トルコ石炭教会を定年退職した叔父のイスミト・ケスキンさんを、靴磨きをしながら援助するアイクト君は1日に10~15リラを稼ぐそうだ。

靴磨きをしている時にサイレンの音を聞き、全く躊躇することなく立ち上がり敬礼をしたと話すアイクト君は、「アタテュルクは我々のために何度も戦争へ行ったのだ。だから立ち上がり、敬礼をした。敬礼をしている時は気持ちが良かった。みんな同じように敬礼すれば良いのにと思った。靴を磨いていたお客さんとは1.5リラで靴を磨く約束だったが、靴を磨いた後に2リラくれた。今日、新聞などで自分の写真を見てとても嬉しく思った。近所の人たちがみんな僕のことを話し、嬉しくて胸がいっぱいになった。」と話した。

一番の望みは学校に戻って卒業することだと言うアイクト君は、卒業後も仕事に就き、働きたいと話す。

叔父のイスメト氏は退職金として600リラをもらい、アイクト君を学校に行かせたかったが、物理的に不可能で、アイクト君が学校を辞めざるを得なかったと話した。

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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:20668 )