以前、ハヤティ・ヤズジュ副首相の提案で議題に上がったトルコ・イラク間の国境線変更のため、トルコと北イラククルド自治政府が合同委員会を組織したことがわかった。
PKK(クルド労働者党)に近いことで知られるフラト通信によれば、11月10日、ドゥホク市において「実務担当者レベル」で行われた会議で、トルコとイラクの国境を再設定するために委員会を作ることが決定された。報道によれば、会議には、クルド自治政府農業省のミヘメド・エミン・ファリス水資源担当官、トルコ外務省の安全保障担当官、そしてイラク外務省のエルシェド・トフィク氏が参加した。エミン・ファリス氏がインターネットサイトのハンダン(Xandan)に寄せた談話によれば、会議では、ヘズィル川とハブル川(トルコとイランの国境の川)の流れが変わったことが議題に上った。ファリス氏は、会議は「友好的に雰囲気」で行われたと話し、「双方の間で、国境の再設定のために専門家共同委員会を作る目的で協定に署名しました」と述べた。ファリス氏は、政府高官レベルで(最終)決定がなされることになると述べた。
■「国境は40キロ変わった」
ファリス氏は、ヘズィル川とハブル川の流れが変わったが、(イラクに)もたらされる水量の減少にはならなかったとしたものの、「いくら水の減少がないとしても、川の流れが変わったことで、イラクとトルコの国境は約40キロメートル変わった」と述べた。報道では、PKKのドゥラン・カルカンが、トルコがイラク側に、かつて「国境をずらした」と主張したことも、改めて報じられた。
国境の変更という問題はこの数ヶ月間議題に上り、ハヤティ・ヤズジュ副首相のこの件に対する前向きな見解が議論を呼んできた。ヤズジュ副首相は、イラク国境の変更は議論されうるとし、「国境警備および国境線がいくつかの地域でずれているということについて、閣僚会議では話し合いはなされませんでした。しかし、これは話し合われるべきものであり議論されうるものです」と述べた。
■イランとは同意した
トルコ-イラクの国境線は最終的に1926年に調印された条約によって確定した。しかし、この国境線では逃亡行為にとって好条件であることが判明し、議論されるようになった。国境線の問題を初めて取り上げたのはトゥルグト・オザル元大統領である。オザル元大統領と、後にはタンス・チルレル元首相がアメリカとの会談の場でこの問題を取り上げたことが世論に影響した。トルコとイラクの国境は、331キロメートルからなる。このうちの200キロメートル近くは、高い山々と谷からなっている。議論の中で、この山岳地域に関する部分が再検討されると見られている。2国間の国境が平地とより安全な場所を通るよう、相互に土地を交換することが提案されている。(これについては、)アタテュルクが1934年にイランと行った領土交換が議論での先例として示されている。トルコは、小アララト山の麓まで国境線を下げる代わりに、肥沃な農業地帯であるコトゥル(Kotur)をイランに渡し、このようにして、クルド人反逆者たちが国境から逃亡するのを防いだことがある。
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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:20685 )