来土する作家ナイポールにトルコ文学界から様々な反応
2010年11月21日付 Milliyet 紙
ノーベル賞作家、V.S.ナイポール氏が、11月25日~27日にかけて開かれるヨーロッパ作家議会の開会挨拶のためにイスタンブルに招待されたことに対して、(ナイポール氏が)イスラムとムスリムを見下したとの理由で、幾人かの作家たちは厳しい表現を用いて反発を示した。
文学界は、新たな議論を展開している。その発端は、ノーベル賞作家、V.S.ナイポール氏が11月25日~27日にかけて開催されるヨーロッパ作家議会で開会挨拶をすることである。文化芸術交流協会が決定し、2010年イスタンブル・ヨーロッパ文化首都エージェントが後援して実施される予定のイベント(ヨーロッパ作家議会)でナイポール氏は開会挨拶を行うが、これに対する最初の反発は、ヒルミ・ヤヴズ氏によりおこなわれた。ヤヴズ氏は、11月17日に、ザマン紙のコラムにこの件に関することとして、以下のことを書いた。
■厳しい批判がなされた
「V.S.ナイポール氏は、典型的な「植民地知識人」。(旧英国領西インド諸島の)トリニダード島に移住したインド系の家庭の子。(略…)ナイポールによれば、ムスリムは、「遅れた」「創造性のない」「何も成し遂げられない」集団だ!ヨーロッパ作家議会のトルコ代表者たち、そして、このセッションへの参加を受け入れた我が作家同胞は、ムスリムたちをこのように侮辱し、見下すこの男と同席することをどう受け入れているのだろうか?」
また、サリフ・トゥナ氏は、イェニ・シャファク紙の11月18日付けのコラムで、「この不名誉な人物は、ここで何の用事があるのだ?」と書いて議論に加わった。作家のジハン・アクタシュ氏も、賓客がV.S.ナイポール氏であることを知ると、会議に参加しないと決めた。
■ コット氏:賓客ではない
2010年ヨーロッパ文化首都の文学責任者であるアフメト・コット氏は、何よりもまず、ナイポール氏が賓客としてではなく、開催の挨拶をするために招待されたとし、以下のことを述べた。
「我々は、2010年ヨーロッパ文化首都(の企画を主催する側)として、イスタンブルを多様な文化をもち、多様な意見を許容する都市である見なしています。異なった意見をもつ人々は、イスタンブルの文化に豊かさというものを付け加えます。更には、EU入りを目指す中、多種多様な意見が並存し、そしてこうした環境の中で生きることを目的として(これを企画して)います。あの人物はあんな意見をもっているから同席しない、との立場に私は組みしません。異なった意見をもつ人々が、共存するということに慣れねばなりません。」
一方でコット氏は、「実を言うと、異なった意見の人々を一つの場所に集わせる(機会を提供する)ことで、好意的反応が得られるものと期待していました」と言い、以下のように続けた。
「私は今も正しい判断を下したと信じています。そして、私たちと同意見の作家たちが支援してくれるものと信じています。要するに、そうした人々は、多文化的な考え方に慣れることでしょう。」
ヨーロッパ作家議会は、2007年にノーベル賞作家のジョゼ・サラマーゴ氏によってイスタンブルで創設された。本会議に参加予定の作家たちに、この件に関する意見を聞いた。
■ タフスィン・ユジェル氏
-信仰をあざ笑うことはよくない
イギリス文学に大変関心があったわけではなかったので、ナイポール氏のことは知りませんでした。新聞等でみた限りでは、イスラム教をあざ笑ういくつかの作品があるとのことです。いかなる信仰に対しても、このように振る舞うことは、本当の知識人、有識者のすることではありません。その点から、第一印象は良くありませんでした。人々は明らかな反発を示すことでしょう。一定の文化レベルにある人間が、このように特定の宗教を引き合いに出してあざけることはよいことではありません。しかし、(ナイポール氏の)この特徴を知りながら、この会議を企画した人々が彼を受け入れたのであれば、これは、彼らの寛容さを表しています。
■ イスケンデル・パラ氏
-招待する前に考えるべきだった
我々は80歳を迎えようかという作家を招待しています。(作家が)招待される前に、これらのことが配慮されなければなりませんでした。しかし、(作家が)招待された後、いくつかの事柄が俎上にのぼると、望もうと望むまいと、不快感が生じ始めました。私もそうした一人です。反発が、個人的なものの域を出た際、国の文化芸術に関する意見と関連付けられると心配しており、(こうした際)全員が思慮深く行動することが必要です。私は、ナイポール氏の開会の挨拶を聞くつもりです。我々は、この作家を(彼が)30年前に書いた本の中にある事柄によって評価しています。(彼が)まだ、その考えを持っているとしたら、会場を後にするか、あるいは必要な対応をしましょう。
■ ネディム・ギュルセル氏
-イスラムを批判することは、見下すことにはならない
ヒルミ・ヤヴズ氏の記事を読みました。そして、彼の見解には全く同意しません。イスラムを批判することが、いつから見下す、あるいは、受け入れられないものとみなすことになったのですか?私は、それ以上に、ノーベル賞を受賞した著名な作家がヨーロッパ作家議会において話をすることは、重要なことだと思います。人種主義的な発言、あるいは、虐殺を擁護しなかった限りにおいて、この種の活動に加わるのに不都合なことはありません。イスラムを批判していようと、あるいは、ムスリムであることが後進的であるということを主張していようと―ヒルミ・ヤヴズ氏の記事からこう理解しました-、ここには当惑するようなことは何もないと考えています。私の『神の娘たち』という小説は、人々の宗教的価値観を公然と見下したとのことで告発されました。このことで私がイスラムを批判していた、また批判したと言うなら、トルコでは、私をも発言させないのでしょうか?
■ マリオ・レヴィ氏
-反対意見にも敬意を表すべきだ
そもそも、私はここで反対意見を明らかにした多くの作家を大変尊敬しています。そして、こうした行為を、反対者全員の個々の見解として評価することに賛成です。しかし、こうした意見は、私が会議に参加することを妨げるものではありません。人種主義以外のあらゆる反対意見(の表明)は、人が生来持っている権利であると信じています。我々にとって、不本意なものかもしれませんが、我々自身の意見の正当性のために、反対意見の存在にも敬意を表すべきです。
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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:20747 )