ハイダルパシャ駅、屋根から出火
2010年11月28日付 Yeni Safak 紙


歴史あるハイダルパシャ駅の屋根から出火。消火のため、消防隊が事件現場に送られた。火は、長時間に及ぶ消火活動の後、消防隊が制御できる状況となった。

歴史あるハイダルパシャ駅の屋根から出火。火は、長時間に及ぶ消火活動の後、おおむね鎮火した。入手された情報によると、歴史あるハイダルパシャ鉄道駅の屋根で、15時30分頃、火災が発生。原因はまだ明らかになっていない。火災に対してウスキュダルとカドゥキョイ消防隊が消火にあたった。火災現場では、現在なお(28日)消火活動が続けられている。

■駅員と乗客は避難

駅の上階で出火し、屋根裏全体を覆った炎はイスタンブルのヨーロッパ側からも見え、消火活動は数時間続いた。火事に対し、カルタル、ウスキュダル、そしてカドゥキョイ消防隊が消火に当たると同時に、消防隊は、アナウンスでヨーロッパ側の消防隊からの援助を要請した。

火事のため、駅舎の従業員と乗客は避難させられ、警察が同所で警備にあたった。一方で、この間、火事の現場に向かったいくつかの消防隊は、交通渋滞のため現場になかなか近づけなかった。

■乗客はバスでイスタンブルとコジャエリに

ハイダルパシャ鉄道駅における火事のため、エルキシェヒル-ハイダルパシャ間を運行するジュムフリイェト急行に乗っていた360人の乗客は、アリフィイェ鉄道駅からバスでイスタンブルとコジャエリに移送された。火事のため、アナトリア方面からイスタンブルに向かう列車の乗客らは、サカルヤのアリフィイェ市からバスでコジャエリとイスタンブルに移送されている。エスキシェヒル-イスタンブル間を運行するジュムフリイェト急行の乗客も、バスでイスタンブルとコジャエリに移送された。

何人かの乗客は、乗り換えでひどい扱いを受けたとして、駅職員とけんかしていた。列車の乗客の一人、ジェンギズ・ジャネルさんは、新聞記者らに対し、エスキシェヒルからイスタンブルに行くために列車に乗ったが、ハイダルパシャ駅で起きた火災のために列車から降ろされたと話した。ジャネルさんは、TCDD(トルコ共和国国営鉄道)には、自分達乗客を必要な場所に移送する責任があると言い、「ここではこのような行動は見られません。十分な車もなく、乗客は目的地にまで移送されていません。TCDDを非難します」と述べた。

他方、駅関係者からの情報によると、アナトリア方面からイスタンブルに向かう7本の列車の乗客たちもバスでアリフィイェ鉄道駅からイスタンブルとコジャエリに移送される予定だという。

■交通省:火事はおおむね鎮火した。

ハイダルパシャ鉄道駅での出火に関して会見を行った交通省の担当者は、鎮火後の冷却に向けた活動が始まったことを明らかにした。交通省の担当者からの情報によれば、火災は、少し前におおむね鎮火し、冷却に向けた活動が始められた。

歴史的な鉄道駅は、屋根から出た炎のため、大きな損害を受けた。火事のために、歴史的建造物のいくつかの場所で崩落が起きていることが明らかになった。屋根の炎は、短期間で大きくなり、4階に広がった。火事に対して消防隊と消防船が海から消火にあたった。

約1時間続いた消火活動の後、火事は困難の末、おおむね鎮火した。火事のため、現在、列車の運行は行われていない。駅周辺で警備行っている警察は、ここを立ち入り禁止にしている。

■火は完全に消火

ハイダルパシャ鉄道駅の火災は完全に消され、冷却に向けた活動が行われていると発表された。ハイダルパシャ駅で、15時30分頃から始まった火災は、完全に消された。

関係者は、火が再び燃えださないよう、消防隊が冷却活動を続けており、この活動が終了した後に消防隊は駅から離れる予定であると述べている。

■ムトゥル知事:死者がでなかったことが幸いだ

イスタンブルのヒュセイン・アヴニ・ムトゥル県知事は、ハイダルパシャ鉄道駅の火災は完全に監視下に置かれたとし、原因については後で会見を行う予定であると述べた。

ハイダルパシャ鉄道駅での火事の後、事件の現場を訪れたヒュセイン・アヴニ・ムトゥル知事は、火災がおおむね鎮火したと述べた。ムトゥル知事は、消防隊が懸命に活動した結果、確実に鎮火されたと強調し、「死傷者がでなかったことが幸いです。このように歴史的な建物でおきた今回の火事は、だれにとっても非常に悲しい出来事です。原因について、後ほど会見を行う予定です。改修工事が行われていたとの情報もあります。(この火事が)それに関係しているのかどうかを調査します」と述べた。

■報告書に基づいて会見を行う

イスタンブルのヒュセイン・アヴニ・ムトゥル知事は、ハイダルパシャ駅における火災の原因に関しては、消防隊の技術的な報告書に基づいて情報を提供すると述べた。

ムトゥル知事は、火事に関する見聞の後に行われた会見で、駅で夕方頃に出火した火災は、主に屋根の部分で発生したとし、イスタンブル広域市の部隊と、海岸警備局の第6救助船と第7救助船が海から急いで消火活動にあたり、火がこれ以上拡大するのを防いだことを明らかにした。

ムトゥル知事は、現在、火は完全に消防隊の制御下にあるとし、イスタンブル広域市の部隊が活動を続けていると述べた。

ヒュセイン・アヴニ・ムトゥル知事は、事件で死傷者がでなかったことに言及し、出火原因に関する消防隊の技術報告書に基づいて情報を提供すること約束した。ムトゥル知事は、「建物では、小規模の改修工事が行われています。しかし、火が出たのはこの改修工事が行われている場所なのかどうか、これら全てのことを報告書に基づいて発表することができるでしょう」と述べた。

ムトゥル知事は、ある新聞記者の、火事に対して空から消火活動を行うべきだったとの批判があるとの言葉に、以下のように答えた。

「空から消火活動を行うことについては、その長短について当初から検討されました。森林局とトルコ航空局にも、この件についてコンタクトを取りました。必要な際に応援を要請するため、トルコ航空局の所持するアンカラの2機の飛行機もサビハ・ギョクチェンにおそらく移送されたと思います。この種の歴史的建造物に対する消火技術の定式からして、これらは重要な活動です。我々の同僚たちは、正しいことは全てきちんと行いました。」

ムトゥル知事は、「177番(森林火災のための緊急通報番号)に電話した何人かの市民らが、『我々にはヘリコプターはない』と言われたといっています。これにはどう答えるつもりですか?」との質問に対して、「トルコ航空局は、このような事件にそなえ、何機も飛行機を持っています。これらはトルコの全ての場所に、いつでも活動し得るものです。ここにない、あそこにある、といったことは、それほど重要なことではありません。重要なのは、今回の消火活動に関し、なにか問題があったかどうかです」と答えた。

■カドゥキョイ区長:区が許可した改修工事はない

カドゥキョイのセラミ・オズチュルク区長は、ハイダルパシャ駅で区が許可した改修は行われていないとし、「もし、火事が改修を行っている場所で起きたなら、無許可の工事が行われていたということだ」と述べた。

オズチュルク区長は、記者会見で、歴史的建物を改修するため、全ての区でKUDEPという名の部署があり、この部署が改修の許可を与え、そして、行われる改修をチェックしているとし、「ここ(ハイダルパシャ駅)に、我々の区によって改修許可が与えられた案件はありません。たしかに申請はありました。自然文化遺産協会からの承認を得たそうです。その後、資金不足のため、我々の方の許可がでなかったようです。区の監督下で行われていた改修工事はありません。もし、火が改修の行われている場所から出たなら、無許可の工事が行われていたということです」と話した。

火事の後、事件現場に来て調査を行ったCHP(共和人民党)のイスタンブル支部長ベルハン・シムシェク氏は、ハイダルパシャ駅が、全ての人にとって想い出のあるものであるとし、「しかし、私にとってはこれとは別に想い出があります。『デニズ・ゲズミシュ 』の映画を、2カ月間ここで撮りました。駅をとてもよく知っています」と述べた。シムシェク氏は、ハイダルパシャ駅が、イスタンブルのとても重要なシルエットであるとし、以下のことを述べた。

「1908年以来、イスタンブルとアナトリアを結んできたとても重要な建物です。ここで問わならないことは次のことです。3日前、(イスタンブルの)カーディル・トプバシュ市長は、都市地方自治体連合組織の長に任命されているのですよ。しかし、イスタンブルには消防隊のヘリコプターはあるんでしょうか?このような建物からの出火が、原始的な方法で消されるということはあり得ることなのでしょか?私は消防士ではありませんが、この件について、知識のある人々は、この消火が、消防隊のヘリコプターによって空から行われる必要があったと述べています。2010年のヨーロッパ文化首都でもあるイスタンブルは、16年間レジェプ・タイイプ・エルドアン首相の考え方のもとで運営されています。イスタンブル広域市の予算は1800万リラです。消防用ヘリコプター1機を買う程度の予算もないのでしょうか?神さまが何とかしてくれると考えるような、国の運営、イスタンブルの運営があっていいのでしょうか?これは何とひどいことでしょう。」

■バグダット鉄道の始発駅

ハイダルパシャ駅は1908年に、イスタンブル-バグダット線の始発駅として建設された。駅は、TCDDのターミナル駅である。イスタンブルのアジア側、カドゥキョイにある。オスマン朝末期に、バグダット鉄道と並行して、イスタンブル‐ダマスカス‐メディナ(ヒジャーズ鉄道)間の運行が始められた。オスマン朝スルタン、アブドゥルハミト2世の時代、1906年3月30日に建設が始まった。1908年8月19日に完成し、営業を始めた。伝えられるところでは、建物には、セリム3世時代の政治家の一人、ハイダル・パシャの名がつけられたという。建物の工事は、「アナトリア・バグダット」という名のドイツの会社が請け負った。加えて、あるドイツ人の設計で、駅の前に船着き場が建設され、アナトリアから来る、あるいはアナトリアに向かう鉄道車両の商用荷物の積み下ろしに使われた。

2人のドイツ人技師Otto RitterとHelmuth Cunoによって計画された建設プロジェクトがスタートし、建物の建設においては、ドイツ人の建設工とイタリア人の石工たちが共に働いた。第一次世界大戦の間、駅の倉庫に保管されていた弾薬に1917年に火をつけられて火災が発生し、建物の大部分が損害を受けた。その後、建物は新しく修復され、現在の形になった。

1979年にハイダルパシャ駅の沖合で、「Independenta」という名のタンカーが他の船と衝突した結果起きた爆発と熱のため、建物の「O Linneman」という名の技師の作った鉛のステンドグラスが被害を受けた。

ハイダルパシャ駅では、1976年に大規模な改修工事が行われ、オリジナルの姿が再現された。さらに、1983年の終わりに4つの外壁と2つの塔の修復が完成した。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:20802 )