PKKオジャランとフェトフゥッラー・ギュレンの対話は本当に行われているのか?
2010年12月09日付 Radikal 紙
アブドゥッラー・オジャランが、フェトフゥッラー・ギュレンの運動に関し広範な評価を行い、彼のジェマートが中東の重要な市民社会組織であると述べたことによって始まった、両者の対話が続いている。オジャランの弁護士は、ザマン紙記者ヒュセイン・ギュレルジェと対談を行った。
オジャランは、弁護士らに以下のことを述べていた:
「私は、彼らをタリーカ(神秘主義教団)でも、ジェマート(宗教系の集団)でもないと考えている。私の意見では、それはむしろ、トルコと中東における市民社会組織である。彼らの役割は重要である。彼らは非常に大きな力を持っており、その点では我々も同じである。この2つの力が相互に理解を示し、協力し合うことで、トルコに横たわる根本的な問題の多くを解決することができるだろう。」
■ザマン紙記者ギュレルジェ氏による説明
この発言が行われた後、新しい情報が届いた。それによれば、クルド労働者党(PKK)とフェトフゥッラー・ギュレンの間に興味深い対話が行われたという。フェトフゥッラー・ギュレン・ジェマートの中心的人物の一人であるザマン紙の記者ヒュセイン・ギュレルジェ氏は、アブドゥッラー・オジャランの弁護士と面会をした。
面会を要請したのは弁護士の側であった。面会は、ギュレルジェ氏の住むヤロヴァで行われた。以下、ギュレルジェ氏による説明:
「先週の日曜日、アブドゥッラー・オジャランの弁護士らとヤロヴァで面会をしました。それより以前にアリ・ブラチュ氏から、2年前からオジャランの弁護士たちが多くの記者と対談しているということを聞いていました。ブラチュ氏も2度、彼らと会ったそうです。私と面会したいという旨を伝えられたので、私がヤロヴァに住んでいることを話し、会う約束をしました。面会は、あるショッピングセンターの、朝食を取る人たちでにぎわう中で行われました。
テレビの番組や新聞のルポで、「ギュレン・ジェマート(集団)」と呼ばれているこの有志運動には代弁者という存在がいないことを、私はここで強調したいと思います。なぜなら、この運動は、集団や組織ではないからです。代弁者も代表者も存在しません。ギュレン氏もインターネットサイトやメフタプ・テレビ、サマンヨル・チャンネルに出演し、説明をしています。そのため、オジャランの弁護士たちとは、(ギュレン・ジェマートの代表者としてではなく、)ザマン紙の記者として面会しました。
火曜日の夕方、メフタプ・テレビの「思考の日記」という番組で、この面会に関し、詳しく説明を行いました。昨日も、PKKとの関係が知られるフラト情報局で、この面会のことが取り上げられました。ニュースでは私たちの対談が報道された後、オジャランによる評価、「ギュレン運動は重要な役割を担っている」という言葉が表題とされていました。このことは、まるでギュレン氏に対しあるメッセージが送られた、彼もまたこのメッセージに返答した、という誤解の原因となるような解釈を生みかねません。私がここで明らかにしたいのは、私は面会で、大統領が何カ月もの間、「クルド問題」をトルコの最も重要な問題であると強調していたことに触れながら、このことが私たちの国家、そして将来にとって解決されるべき問題であると述べたということです。誠意とマナーという2つの点が、非常に重要であるとお話ししました。
PKKには、イムラルやヨーロッパ、山岳地帯に、代表者たち、代弁者たちがいます。トルコが勢力を強めることを望まない国家が存在します。その中には、武器、人間、麻薬の取引によって利益を得ている人たちがいます。混沌としたこの状態が、問題となっているのです。そのために、誠意が重要になります。トルコ人とクルド人が互いに向き合わなければ、問題の解決はどんどん遠ざかっていくでしょう。
マナーも非常に重要です。否定や強制のような振る舞いは、人を不快にさせ、精神的に反発を生みだすということを自覚しなければなりません。問題解決のために分別のある人々が歩み寄りを見せているときに、ある平和民主党(BDP)の代弁者が、それを台無しにしてしまうような雑言を行うことからも、その重要性を理解することができます。
その後で以下のように付け加えました。元来、存在していたのは、私たち人民の同胞愛です。千年以上にわたって私たちは同じ土地で暮らしています。争いを起こす必要はどこにもありません。しかしながら依然、この問題の感情的な面は置いておき、理性的で、論理的な考えにおいて解決策を見つけなければなりません。その解決自体も明白で、しなければならないことも決まっています、すなわち民主化です。法の優位性、国民の平等、思想と表現の自由、宗教と信仰の自由に基づき、互いに敬意を払うこと、解決策が議会で模索されることです。」
■歴史的意義をもつ発言
ヴァタン紙記者ルシェン・チャクル氏もまた、PKKとギュレン・ジェマートの接近について興味深い考察を行った。オジャランがジェマートに行った呼びかけについて言及し、以下のように書いた:
「クルド問題に真剣に取り組み、その解決(もしくは未解決)のために頭を悩ませる人々にとって、私は、オジャランのこの発言が歴史的に重要な意義をもっていると考える。疑いようもなく、この発言は、話題の的とされるギュレン自身と同時に、あらゆる立場で、彼を支持する全ての人にとって、全く別の意味を負っている。
犠牲祭の期間に開かれたクルド会議のため訪れたブリュッセルでは、多くのクルド人政治家と会った。彼らの頭の中の大部分を占めている問題の一つが、ギュレン運動と、この運動がクルド人(トルコ南東部だけではなく、イラク北部等に住むクルド人を含む)を狙いとしているということがわかった。それどころか、彼らのうちのほとんどが、公正発展党(AKP)の政権よりもギュレン・ジェマートを自身たちのライバルと見なしていることが見て取れた。おもしろいのは、トルコのクルド人の間には、依然として大きな影響力を持つ政治的、社会的勢力が存在してるにも関わらず、ヒズブッラーを問題視する人にはほとんど会わなかったことである。
■『PKKとギュレン運動の緊張』
ブリュッセルで得た知見は、私にとって驚くべきものではなかった。クルド人政治運動とギュレン運動の間に、激化するおそれのある緊張関係が存在することを、この問題について、他の人々と同様に知っていた。他に知っていたことは、内外の人間、ある第3者(あるいは焦点)が、この緊張関係が(実態的に)衝突に発展することを望んでいること、しかしながらその人々は、2者の間にある競合関係がそこまでに達しないため、非常に慎重に振る舞っていたことである。
ブリュッセルで、PKKの代表者の一人である元民主主義党(DEP)議員ズベイル・アイダル氏と会話をしたとき、どうにかこうにかギュレン運動と彼らの間の緊張関係の話にもっていき、こう質問をした:『彼らとの直接的な接触はあるのでしょうか?』それに対し、同議員がそれを否定したため、再度、『それでは、接触を図ろうと考えていますか?』と問うたところ、『あり得ますが、この問題に関しては(上からの)政治的な決定を得る必要があります』という返答を得た。
このことからわかるように、オジャランの最近の発言は、「政治的決定」が下されたことを意味している。わかったところでは、オジャランは、ギュレン運動を敵対相手と見なしたままでは、解決に向けた一歩を踏み出せない立場にあるということである。この分析は間違ってはいないだろう。彼がギュレン運動について述べた言葉を、全てのクルド人政治運動の統合を実現するための通達と捉えなければならない。そのために、今後、合法的、非合法的に活動を行うクルド人政治家たちが、驚きの発言や行動をとったとしても驚くことはありません。
無論、この点での真に重要な問いは、ギュレン(とその運動を行う人々)はオジャランからもたらされたオリーヴの枝(平和の象徴)に対し、どのような行動を取るか、ということである。」
■オジャランの弁護士、「タラフ紙の一面記事は偽り」
アスルン法律事務所の弁護士たちはタラフ紙でユルドゥライ・オウル記者執筆のコラムの、「ヤロヴァで、オジャランの弁護士が、ヒュセイン・ギュレルジェ氏と政府関係者と面会していた」という部分を否定した。弁護士らは、クルド問題のようなトルコの民主的未来のために重要な問題において、報道陣関係者がより責任のある報道を行うよう呼びかけた。
アスルン法律事務所の弁護士たちは文書ににおいて、タラフ紙のユルドゥライ・オウル氏が執筆した本日の記事「ヤロヴァでのアポ取引」という題名の記事が偽りであると訴えた。
オジャランの弁護士が行った説明では、「ヤロヴァでオジャランの弁護士がギュレン・ジェマートと政府関係者と面会をした」という記事が事実に基づいていないことが述べられ、オジャランの弁護士として、トルコの民主化過程のため、しばしば知識人記者と市民社会組織の代表者と意見交換を行っていることが書かれている。問題となったコラムに書かれたような、政府関係者との面会はなかったことを明らかにした弁護士たちは、クルド問題のようなトルコの民主的将来のために、重要な意味をもつ問題に関し、報道陣はより責任をもって報道を行うよう主張した。
■弁護士は以下のように否定した
「2010年12月9日にタラフ紙に掲載されたユルドゥライ・オウル署名の記事は誤りです。2010年12月9日にタラフ紙に掲載されたユルドゥライ・オウル署名の記事では、私共の事務所の弁護士がヒュセイン・ギュレルジェ氏と行った面会の後、別の場所で政府関係者と落ち合い、対談を行ったという表現がなされています。
私共の事務所の弁護士たちは明白な理由をもってクルド問題とトルコの民主化過程のために、啓蒙家、記者、市民社会組織(STÖ)代表のような様々な思想を持った指導者たちと面会し、意見交換を行っています。それどころか、上述の記事を掲載したタラフ紙に対しても、この目的により、幾度か訪問を行っていました。ギュレルジェ氏との面会はこの文脈で行われたものです。しかしながら、面会の後に政府関係者と対談したことが執筆されました。私たちがこの点において慎重に述べる必要があるのは、ギュレルジェ氏と行った対談の後、政府関係者らとの間で面会は一切行われなかったということです。クルド問題のようなトルコの民主的将来に関し非常に重要であるこの問題について、報道陣の皆さまには、より責任を持って情報を提供して下さるよう、お願い申し上げます。」
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( 翻訳者:西山愛実 )
( 記事ID:20918 )