「ジャングル司令官」殉教記念日に際し、大統領が声明
2010年12月04日付 Jam-e Jam 紙
大統領は、「ジャングル司令官」ことミールザー・クーチェク・ハーン・ジャンギャリーの殉教記念日に際して声明を発表し、イランそしてイスラームの独立のために殉教した人物の一人として、彼の名を挙げた。
大統領はこの声明で、ミールザー・クーチェク・ハーン・ジャンギャリーは勇敢で疲れを知らない聖戦士であるとした上で、「彼は〔当時のガージャール朝が1919年にイギリスとの間で〕イランとイスラームに対して結んだ条約に、命ある限り抵抗した人物である。彼は今日まで、イランとイスラームの独立のために命を落とした殉教者たちの一人なのだ」と述べた。
イラン国営通信の報告によれば、アーヤットッラー・ヌーリー=ハメダーニーもミールザー・クーチェク・ハーン・ジャンギャリーとギーラーン州で殉教した宗教指導者たち140名を記念し、「立憲革命後、小専制の時代にあって、セイエド・ハサン・モダッレスやシェイフ・ファズロッラー・ヌーリーといった数名の宗教指導者、ならびにミールザー・クーチェク・ハーン・ジャンギャリーのような人物だけが専制に対して立ち上がり、自らの清らかな命をイスラームの発展と向上のために犠牲にした」と述べた。
同氏はさらに、「歴史は、独立を希求し、イスラーム的な目標に向けて果敢に闘い、自らの理想を守り通したミールザー・クーチェク・ハーン・ジャンギャリーの勇敢さを雄弁に物語っている」と加えた。
※訳註
・クーチェク・ハーン・ジャンギャリー:1915年頃からイラン北部ギーラーンの森林地帯で、イランに駐留していたロシアやイギリスの軍隊に対してゲリラ戦を展開していた、いわゆる「ジャンギャリー運動」の指導者
・モダッレス:1920年代にレザー・シャーに抵抗した反骨のウラマー
・シェイフ・ファズロッラー・ヌーリー:1905〜1911年の立憲革命で、シャリーア復活を唱えた反立憲派のウラマー。イスラーム法の復活を主張し、イランの西洋化に抵抗した人物として、79年の革命後、一部から英雄視されるようになった。
・「小専制」とは、立憲革命で憲法が敷かれた後の1907年、当時のガージャール朝モハンマド・アリー・シャーが反立憲クーデターを起こし、立憲革命前のシャーによる専制を復活させた時期のことを一般に指す。なお、上記のヌーリーはこの専制復活に加担したとして、立憲制復活後に処刑されている。
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( 翻訳者:榎本香菜 )
( 記事ID:20937 )