【政治部:マルヤム・ジャムシーディー】昨日、マヌーチェフル・モッタキー外相がセネガル外相と会談し、さらにアフマディーネジャード大統領の親書を同国大統領に手渡すためダカールを訪問していたさなか、アフマディーネジャード大統領はモッタキー氏を外相から更迭し、セイエド・アリーアクバル・サーレヒー氏を外相代行に任命する人事を別個に発表した。
アフマディーネジャード大統領は、アリーアクバル・サーレヒー氏に対する辞令の中で、現在原子力庁長官を務める同氏の価値ある貢献と知見・経験に触れた上で、イラン・イスラーム共和国憲法第135条にもとづき、同氏を「外相代行」に任命すると言明した。
〔※イランでは、「大臣」は国会の承認が必要で、大臣不在の間「代行」が置かれる〕
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マヌーチェフル・モッタキー氏は、アフマディーネジャード政権の閣僚としては、もっとも経験豊富な人物を自任してきたが〔※モッタキー氏は駐トルコ、及び駐日大使を歴任した〕、しかしこのことは、同氏が6年間に及ぶ在職期間を、頭を悩ませることなく過ごしてきたということを意味するものではない。「クーシュケ・メスリー」通りにある外務省の主の座に就いてまだ半年と経たなかった時期に、すでにモッタキー氏更迭の噂が囁かれていたほどなのだ。
しかしもちろん、当時それは噂の域を出ず、関係筋から否定されたのであった。興味深いのは、モッタキー氏がその後、第9期政権〔=第一次アフマディーネジャード政権〕から第10期政権〔=第二次アフマディーネジャード政権〕へと横滑りした、それも外務省という同じ省の大臣を務めることになった稀有な人物として、第10政権を支えたことである。〔※別の省の大臣に転身した人物はいるが、「留任」した人物はいない〕
にもかかわらず、モッタキー氏更迭の噂が絶えることはなかった。実際この噂は、今年のシャフリーヴァル月〔西暦8-9月〕になると、現実味を帯びるようになる。〔‥‥〕マスコミはこの噂で持ち切りになり、また当の外務省内でも、この話題は頻繁に囁かれた。しかしモッタキー、アフマディーネジャード両氏がこの話題についてコメントを発表したことで、過熱した状況も沈静化に向かった。
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しかし今夏は、モッタキー氏にとって辛い夏となった。というのも、モルダード月下旬からシャフリーヴァル月にかけて〔西暦で8月頃〕、アフマディーネジャード大統領は新たな人事を発表し、6人〔のアフマディーネジャード側近〕を中東、ラテンアメリカ、カスピ海、アジア、アフガニスタン、〔及びアフリカ〕の各地域を担当する大統領特別代理に任命したためだ。
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この一連の人事に対して、国会議員らからは否定的な反応が出された。というのも、こうした措置は外交政策の分野、及び外務省という機関内に一種の「職務の重複」を生じさせかねない、と議員らは考えたためだ。ハーメネイー・イスラーム革命最高指導者でさえも、当時政府関係者らとの面会のなかで、国の外交政策は外務省に一元化されるべきだと明言している。
〔※モッタキー氏は国会議長を務めるアリー・ラーリージャーニー氏に近い人物と言われている〕
こうした中、モッタキー氏はこれらの人事に対してあからさまな批判は控えていたが、しかしバガーイー氏〔※今回の人事でアジア地域担当大統領特別代理に任命された人物〕が文化遺産観光庁長官としての立場で、某式典においてトルコでのアルメニア人虐殺を非難し、それがきっかけでトルコ外務省当局がイラン外務省に抗議の意志を表明する事態になった際、モッタキー氏は沈黙を破り、〔経験のない者に微妙な問題を扱う外交は不可能だという内容の発言を行って〕バガーイー氏への批判を始めたことがあった。
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それと時を同じくして、大統領の一連の新人事に対する関係者らの批判が激化したことで、アフマディーネジャード大統領はついに、〔憲法にも規定された公職である〕「大統領特別代理」として任命されていた人々を、「大統領顧問」に格下げせざるを得なくなったのである。
シャフリーヴァル月から、大統領府よりモッタキー氏更迭が発表された昨日まで、外務省トップの入れ替えの原因として指摘できるような出来事は、特に起こっていない。ただし例外がある。エスファンディヤール・ラヒーム=マシャーイー氏による最近のヨルダン訪問をめぐる問題だ。
大統領事務所長を務めるラヒーム=マシャーイー氏は、大統領の親書を同国国王に手渡し、同時に国王をイランに招待するために、先週土曜日ヨルダン入りしていた。マシャーイー氏のこうした行為に対して、外相を解任されたモッタキー氏は抗議していたといわれている。
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( 翻訳者:水谷陣也 )
( 記事ID:20999 )