犯罪者、続々出所・・・刑事裁判法改悪の原因はだれに?
2011年01月06日付 Milliyet 紙

(刑事訴訟法102条がもたらす)状況が明らかになるにつれ、法務省は最高裁を、最高裁は政府を、最高裁関係者は法医学センターと司法の下部構造を、弁護士は、裁判所の責任だと言っている。

長期間にわたる逮捕拘留期間を制限するための刑事訴訟法(CMK)102条が12月31日に施行されて以来実現した犯罪者の出所は、司法界の対立を激化させている。司法の、悲惨な状況を白日の下にさらすことになったこの状況をうけ、法務省は最高裁を、最高裁は政府を、最高裁関係者は法医学センターと裁判所下部構造を、弁護士は、裁判所の責任だと言っている。この議論は最高裁構成員の資格変更後に誕生する予定の最高裁の法廷の数の増加云々の議論にも及んだ。政府は法廷数の増加を求めているのに対し、最高裁の方は、地方司法裁判所の創設を要求している。司法改革に関する議論の犠牲になっているのは、またしても、家族を殺されたり、物を盗まれたり、怪我をしたりした犠牲者たちだ。

釈放に関する議論は、サードゥッラー・エルギン法務大臣が最高裁が書類の審査を迅速に行わないからだとした発言により、炎上した。エルギン法務大臣は参加したテレビ番組で、刑事訴訟法(CMK)は2004年に改正されたこと、その施行は2010年末とされていたとし、問題の改正が、エルゲネコン、バルヨズ裁判の被告人のために行われたとする解釈は正しくないと述べた。釈放に関しての議論が正しい基礎の上で行われたないと述べるエルギン法務大臣は、新聞やテレビで、10年、5年の禁固刑は長すぎると議論されていたことに触れつつ、この期間でさえ、適正な、(すなわち)欧州人権裁判所(AİHM)が認める期間よりも長いと述べた。

■エルギン法務大臣

議論が、釈放される人がどういう人かを考えずに行われているとするエルギン法務大臣は「釈放された者が犯したこと、これらが社会でおこらせる憤り、良心の中の慈悲の感情は、人々みんなを不快にさせている。しかし、刑事法においては、法律が何より優先する。良心の声(といった感情)により裁判官が判断するうことは、刑事裁判では起こり得ない」と述べた。

■最高裁判所は政府を非難

最高裁判所のハサン・ゲルチェケル長官はというと、釈放に関し、「最高裁判所はこの決定を下さざるをえない。法律は適当に扱えるものではない。法律が改正されたなら、最高裁判所の裁判官や検察官はこれを遵守しなければならない」と述べた。エルギン法務大臣の「最高裁は、裁判の進行を遅らせていう」という発言にも答えたゲルチェケル長官は次のように話した。「ひどく不幸な発言である。問題は(裁判の進行を)優先する、しないということが原因となっているわけではなく、問題は、裁判を少しでも早く終りを遂げるのを助長することにある。こんなことはあってはいけない。最高裁でどのような作業が行われるのかをわかっていない。私は政治的議論に入加わりたくはない。重要なのは方策を見つけることである。言い逃れを見つけることではない。この問題を、私は今日言いだしてことではなく、この長官の職についてからずっと言い続けていることである。今まで方法を見つけてさえいれば、このような状況には陥らなかったのだ。」

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:池田峻也 )
( 記事ID:21132 )