イエメンにトルコ兵戦死記念碑建立、ギュル大統領、「イエメン哀詩」に涙
2011年01月11日付 Radikal 紙
ギュル大統領は、イエメンでトルコ兵戦死者記念碑の建立式を行った。大統領と訪問に同行した閣僚らは、イエメン哀詩に涙した。
イエメンに公式訪問中のアブドゥッラー・ギュル大統領と同行の使節団は、アンカラのトゥルンタシュ村近郊でヘリコプターが墜落した知らせを聞き大きなショックを受けた。大統領は、同事故で殉職した将校らの冥福を祈りつつ遺憾の意を表明し、「全トルコ国民及び殉職した将校らのご家族にお悔やみ申し上げます」と述べた。
イエメンを公式訪問しているギュル大統領は、トルコ兵戦死者記念碑の建立式を行った。建立式には、大統領同行の閣僚ら並びに、平和民主党(BDP)シュルナク選出議員であるハスィプ・カプラン氏も所属しているトルコ-イエメン友好議連のメンバー議員らが参加した。
式は、建立式参加者による黙祷と独立行進曲の演奏で始まった。式では戦死者らの魂のためにコーランが朗誦され、2人のイエメン人少女がイエメン哀詩を歌った。
哀詩が歌われている最中、ギュル大統領、ビュレント・アルンチ国務大臣兼副首相、ヴェジュディ・ギョニュル国防相、アフメト・ダヴトオール外務相、並びにレジェプ・アクダー保健相が感動のあまり、涙を流す様子が見られた。その後、スピーチを行ったギュル大統領は、「まさに、言い表せる全てのことを、この2人のイエメン人の少女が歌ってくれました。全てのトルコ人、そしてアナトリアに住む人々皆の心の琴線を揺さぶるイエメン哀詩を…」と述べた。
哀詩が歌われている最中、非常に感銘を受けたと述べたギュル大統領は、「元々、私は感情を表に出さない人間です。しかし、覚えている限りでは、2005年にも一度この哀歌をこの地で聞き、やはり感情を抑えることが出来ませんでした。今日もそうでした…」と語った。
■ 「最高の務めを果たせることに安堵している」
イエメンの地が、かつての祖国の領土であったこと、400年間、ドナウ川からイエメンまで、そしてコーカサス山脈からバルト海までに至るこの旧祖国領を祖先の人々が命をかけて守っていたことを強調したギュル大統領は、「本日、我々の祖先に対して最高の務めを果たせることに安堵しております」と述べた。
イエメンのアリ・アブドゥッラー・サーレハ大統領が昨晩催した晩餐会で、イエメン哀詩、そして「ドナウ川は、氾濫しないと言っている」という民謡が歌われたと説明したギュル大統領は、以下のように語った:「イエメン人らは、『ドナウ川は、私は氾濫しないと言っている、私は周りを破壊しないと言っている、誉れ高きオスマン・パシャは、プレヴネから出ないと言っている』という民謡を歌いました。ドナウ川からイエメンまでに至る祖国全土の、そしてアナトリア全域の、アナトリアのみにとどまらず、当時の祖国領全域の、モースル、サラエボ、バクーなどの、各地の兵士たちが、これらの土地をを掌握しようと躍起になっていた当時の帝国主義者らに対してイエメンの同胞らと共に勇敢に闘いました。イエメンが我々の歴史において非常に特別な場所であることを、まさにこれらの民謡が示しているのです。」
当時、この「カバノキ」の街の裾野で休息を取っていた時に、一人のトルコ兵が歌い始め、そして後に、アナトリア全民の思いを伝えることとなったイエメン哀詩が非常に意義深いものであると述べたギュル大統領は、同地に眠る数千の戦死者らの冥福を祈った。
大統領は、以下のように語った:「私は、この地より全ての若者に呼び掛けたい。歴史はどうであったのか、イエメンが我々に何を刻みつけたのか、そしてこれらの民謡が何故歌われるのかを理解するために、少なくとも1,2冊のイエメンに関する小説、説話、もしくは歴史作品を読んでください。そうすれば、イエメンとは何か、我々の先祖がどのような苦難を経験したかを、皆が一層よく理解することでしょう。メッカやメディナを守るため、当時、戦略的要所であった水路を守るため、この地で私たちの兵士が犠牲となったことは人々に広く知れ渡りました。そして、トルコ人がイエメンから離れる時、彼らはイエメンの人々にに大きな親しみと友情を抱きつつ同地を後にしました。歴史の趨勢と運命の導きから、かつての祖国の領土は今日、別々の国々になりましたが、この地での彼らの犠牲が水泡に帰すこともありませんでした。メッカ、メディナ及びこの地は、決して侵略を受けることはありませんでした。まさに、これら全ては、トルコ兵のこの地での犠牲の結果であります。」
■ イエメン外相とも会談した
トルコ兵戦死記念碑の建立のためサーレハ・イエメン大統領及び関係者らに謝辞を述べたギュル大統領は、全ての戦死者の冥福を祈った。
一方、アンカラの軍用ヘリコプターの事故にも言及したギュル大統領は、「今朝、受け取った知らせは我々全員を再び悲しみに陥れました。夜間訓練中に墜落したヘリコプターに搭乗していた5名の中尉が殉職しました。私は彼らの苦しみを分ち合います、そしてご冥福をお祈り申し上げます。全トルコ国民及び彼らのご家族にお悔やみ申し上げます」と述べた。
大統領は、トルコ兵戦死記念碑に花輪を捧げた後、トルコ兵戦死者記念碑訪問帳に以下の文言を記した:「イエメンで戦死されたトルコ兵を偲び建立されたトルコ兵殉死者記念碑の建立式を行えることを名誉に思います。イスタンブルから4000km離れたこの地に、聖都メッカ及びメディナを守護する目的で来られた戦死者らの神聖な記憶に敬意を表して一礼申し上げます。トルコとイエメンの間にある古くからの友情の証であるこの記念碑の建立に尽力された皆様に対し賛辞と謝辞を申し上げます。勇敢なるトルコ兵戦死者らの御霊のご冥福をお祈り申し上げます、彼らの魂が安らかに眠らんことを。」
ギュル大統領はその後、歩いてアル・オルディー兵舎へと移動し、同地で視察を行った。
一方、大統領は、トルコ兵戦死記念碑建立式の前に、イエメンのアブーバクル・アル・カルビー外相に接見した。ギュル大統領が宿泊するモーベンピックホテルでの接見は、報道陣をシャットアウトして行われた。
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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:21156 )