オスマン人はキスをしたか?―「華麗なる世紀」、歴史家を二分
2011年01月17日付 Radikal 紙
テレビドラマ「華麗なる世紀(Muhteşem Yüzyıl)」の先週までの放送内容に関して、一部で抗議が寄せられている中、ドラマのいくつかの場面について歴史家たちの意見が二分している。歴史家のムラト・バルダクチュ氏は、自身のコラムで歴史家ヤヴズ・バハドゥルオール氏の「オスマン人たちに(唇の)キスの習慣はなかった」という意見に返答した。
歴史家のムラト・バルダクチュ氏は、ドラマで放映されたキスの場面に関する、ヤヴズ・バハドゥルオール氏の「オスマン人には唇でキスする習慣はなかった」という意見に対して自身のコラムで返答した。彼はコラムに「『オスマン人には唇でキスする習慣はなかった。なぜなら、口からは病気がうつると信じられていて、キスは頬同士をあてていたからだ。私たちは、唇のキスを19世紀に西洋から教わった』と(バハドゥルオール氏は)おっしゃる!つまり、『昔は、みな愚か者だったのだ。その辺の節くれだった丸太のような感覚を持っていたのだ!正しくキスをすることすら知らず、キスすることの喜びは西洋人のおかげでずっと後にもたらされたのだ』と言うのだ」と書いた。
そしてバルダクチュ氏は次のように続けた:
「たとえば、スレイマン1世の『あなたのえくぼは人をも殺す。愛は冷酷だ。だがあなたの唇はいつもイエスの吐息のように私に命をもたらす』という二行連句における『唇』は、(バハドゥルオール氏によれば)実は私たちが知っているあの唇ではないという!スレイマン1世は、この言葉によってヒュッレムの、あるいは他の(ハレムにいた)女性の脾臓(ひぞう)を意味したとでもいうのか?
また、(バハドゥルオール氏によれば)セリム3世の「きみに、『きみは私の歩く魂だ』と言って、私の胸の飾りをつけられたら、つぼみのような赤い唇に『愛しい人』とキスできたら」という言葉で始まるペセンディーデ旋法の韻律で表されている『唇(leb)』という語は唇(dudak)の同義語ではないという。作曲家であるスルタンは恋人の甲状腺に愛の告白をしたとでもいうのか?
唇でのキスを描いたオスマン時代の詩人たちは、さまざまな「bûse(キス)」のやり方を、異なる言葉で表現している。Itibârî(空想の)、müteharrik(壊れた)、mâil(曲がった)、mümâsî(触れた)、tekmeなど、いろいろな名前をつけ、「言葉遊び」の楽しみを満喫している。
何世紀にもわたって書かれてきたこの美しい詩、その言葉、山ほど書かれたミニアチュールが、実際はただの個々の空想と虚構にすぎなかったことを、「華麗なる世紀(Muhteşem Yüzyıl)」のおかげで世に出た新学説から教えていただいた。」
■事の発端は?
歴史家ヤヴズ・バハドゥルオール氏は、自身が出演したテレビ番組で、このドラマでスルタンが唇でキスする場面の時代考証は誤っていると発言していた。バハドゥルオール氏は、「唇のキスはずっと後になってから広まった。西洋人から学んだのだ。オスマン人には唇から唇へのキスの習慣はなかった。キスは頬をあてていた。なぜなら、この時代には病気がかなり広まっていて、こうした病気が口から口に感染すると信じられていたからだ。キスの習慣は19世紀以降に伝わった」と話していた。
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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:21199 )