ボスニア・ヘルツェゴビナでトルコ語からの翻訳本出版、活況
2011年01月17日付 Radikal 紙


トルコ語からボスニア語へ翻訳された本はここ数年で読者の強い関心を集め、ボスニア・ヘルツェゴビナの出版社はこれらの本を出版しようと、まるで競い合っているようだ。

トルコからボスニア・ヘルツェゴビナへは、食品、衣料品、テレビドラマが輸出されているが、次は書籍も重要な位置を占めるようになった。トルコに対する心理的結びつきがあるボスニア人だけでなく、この国に暮らすセルビア人やクロアチア人もトルコ語の本に興味を示している。オルハン・パムクのノーベル賞受賞によって生まれたトルコ文学作品への関心は、トルコ語からボスニア語へ翻訳された書籍によって日増しに強まってきている。

2003年、ボスニア・ヘルツェゴビナでオルハン・パムクの『新しい人生(Yeni Hayat)』がボスニア語に翻訳され出版されると、出版社はそれぞれ異なる作家の作品を読者に提供しようと競い合うようになった。

国内で催されるブックフェアにおいても、トルコ語の本への関心が表れている。出版社はブースの最もよい場所にトルコ語から翻訳された本を置き、読者がそれらの作品を手に取りやすいよう心がけていた。出版社の社長たちは、ここ数年大きな停滞期を迎えている出版市場がトルコの書籍によって活気づけられたこと、読者がトルコ語からの翻訳本に強い関心を寄せていることを語っている。

■最初の翻訳は『ハッキャーリの季節』

サラエヴォの歴史的地区バシュチャルシュにあるコネクタム出版社の社長であり、数多くのトルコ語の本をボスニア語に翻訳してきたアーイェト・アリフィ氏は、ボスニア・ヘルツェゴビナにおけるトルコ文学への関心は大きいと述べた。

アリフィ氏は、2004年から今日までトルコ文学のさまざまな本がボスニア語に訳されてきたが、最初の翻訳作品は1972年に出版されたフェリト・エドギュの小説『ハッキャーリの季節(Hakkari’de Bir Mevsim:邦題『最後の授業』)』であったと話す。アリフィ氏は、この小説に強い関心が寄せられたこと、そしてこの関心はその後トルコ語から翻訳されたすべての本に向けられたことを説明した。アリフィ氏によると、次のような作品がボスニア語に訳され出版された:
アリ・チョラク『人生はその青さを失った(Mavisini Yitirmiş Yaşamak)』、イルベル・オルタイル『オスマン帝国再発見(Osmanlı’yı Yeniden Keşfetmek)』、ヤシャル・ケマル『彼らが蛇を殺すなら(Yılanı Öldürseler)』、フェリドゥン・アンダチ『雪の物語集(Kar Masalları)』、フュルーザン『五つの話(Beş Hikaye)』、サーフィイェ・エロル『ジエルデレン(Ciğerdelen)』。

アリフィ氏によると、この中で売り上げが最もよかったのはサーフィイェ・エロルの『ジエルデレン』であった。コネクタム出版社は児童文学にも力を入れ、預言者たちの生涯を描いた作品や、ファーティフ・M・ドゥルムシュの『トルコの昔話(Türk Masalları)』をトルコ語からボスニア語へ翻訳して子ども向けに出版したという。アリフィ氏は、さらに『ミーマール・シナン(Mimar Sinan)』、『征服王の華麗なる征服(Fatih’in Muhteşem Fethi)』、『壮麗なる立法者スレイマン(Muhteşem Süleyman Kanuni)』、『メヴラーナ(Mevlana)』といった有名な人物の伝記も読者の元へ届けてきたと語った。

アーイェト・アリフィ氏は、イスタンブルに関する出版物にも注目している。ボスニアからイスタンブルへ行く旅行者たちのことも心に留めており、歴史的な場所からレストランに至るまですべての情報が詰まった『イスタンブルガイド』を出版したそうだ。

またアリフィ氏は、ボスニアの思想家で作家であるジェマレッティン・ラティチの『イスタンブル叙事詩(İstanbul Destanı)』という本をボスニア語とトルコ語の両方で企画したことを話し、「私はこの本を、親しい友人からトルコの図書館やバルカン地域に関心のあるすべての人に対してお勧めします。トルコ語から翻訳された書籍は、我々の結束と友情の証です」と語った。アリフィ氏によると、ボスニアの出版市場はトルコに比べれは小規模であるが、比率で言えばトルコより多くの本が読まれているという。そしてトルコの本への関心によって、ここ数年停滞していた出版市場が活気づいたとつけくわえた。

■関心の的はオルハン・パムクだけではない。

ザリヒジャ出版社のアルミル・ザリヒチ社長もまた、読者はオルハン・パムクだけでなく、アフメト・ハムディ・タンプナルやサイト・ファーイク・アバスヤヌクの作品にも強い関心を持っていると語った。
ザリヒチ氏は、「トルコ文学に対する関心によって、トルコにオスマン帝国とカパルチャルシュのイメージしか持たなかった人々の見方が変りました」と話し、現在も、タンプナルの『時計統制機構(Saatleri Ayarlama Enstitüsü)』とアバスヤヌクの『必要ない男(Lüzumsuz Adam)』 の売り上げが好調だと述べた。

シャーヒンパシチ出版社のタイブ・シャーヒンパシチ社長も、トルコの作家への関心が強まっているのが見て取れたので、自社もトルコ語からの翻訳本を出版したという。またシャーヒンパシチ氏は、「『トルコ現代小説選集』とネディム・ギュルセルの『街とデルヴィシュ(Şehir ve Derviş)』を刊行しました。選集は在庫が無くなってしまったので、また刷る予定です」と話した。

また、バイ・ブック出版社の社員も、この6年間でオルハン・パムクの『わたしの名は紅(Benim Adım Kırmızı)』、『黒い本(Kara Kitap)』、『無垢の博物館(Masumiyet Müzesi)』、『父のトランク(Babamın Bavulu)』といった作品の他に、アスル・エルドアンの『赤いマントを纏った町(Kırmızı Pelerinli Kent)』、『奇跡の官吏(Mucizevi Mandarin)』を出版した。「トルコ語からボスニア語に訳されたものは何でも読みます」と話すサラエヴォ大学トルコ学部の3年生セルマ・ハジパシチさんは、書籍がトルコ語からボスニア語に翻訳されていることにとても喜んでいるそうだ。

■TEDAの貢献が大きい。

トルコのサラエヴォ文化・広報顧問のジェンギズ・アイドゥン氏は、トルコ語の本に対する関心には、文化観光省が2005年に行なった「トルコ文化・芸術・文学に関する諸作品の諸外国語による出版支援プロジェクト(TEDA)」が大きな影響を与えたと話す。ジェンギズ・アイドゥン氏は、このプロジェクトの一環として2005年から今日までトルコ語からボスニア語へ翻訳されたさまざまな分野の23作品に支援が行なわれ、この支援によって翻訳家や出版者がトルコ文学を優先させるようになったと指摘した。

アイドゥン氏によると、2005年から現在までボスニア語に翻訳された本のうちTEDAプロジェクトが支援したものは次の通り:

フュルーザン『短篇集(Öyküler)』、フェリト・エドギュ『ハッキャーリの季節』、フェリドゥン・アンダチ『雪の物語集』、サーフィイェ・エロル『ジエルデレン』、アスル・エルドアン『奇跡の官吏』、『赤いマントを纏った町』、ヤシャル・ケマル『彼らが蛇を殺すなら』、サードゥク・ヤルスズウチャンラル『旅人(Gezgin)』、イルベル・オルタイル『オスマン帝国再発見』、アリ・チョラク『人生はその青さを失った』、『彼女の名:アイリン(Adı:Aylin)』、オルハン・パムク『白い城(Beyaz Kale)』、『静かな家(Sessiz Ev)』、『父のトランク』、『黒い本』、『無垢の博物館』、ファーティフ・M・ドゥルムシュ『トルコの昔話』、トゥナ・キレミッチ『深く愛してしまう前に去って(Git Kendini Çok Sevdirmeden)』、『子どもにアイスクリームを(Küçüğe Bir Dondurma)』、オヤ・バイダル『失われた言葉(Kayıp Söz)』、アフメト・ハムディ・タンプナル『安楽(Huzur)』、レハ・チャムルオール『一瞬の遅れ(Bir Anlık Gecikme)』、アドナン・ビンヤザル『15のトルコ昔話(On Beş Türk Masalı)』。

今年ボスニア・ヘルツェゴビナからTEDAプロジェクトへ行なわれた申請と、出版が予定されている本は次の通り:
ハンデ・アルタイル『愛には悪魔が口を出す(Aşıka Şeytan Karışır)』、イルベル・オルタイル『最後の帝国、オスマン朝(Son İmparatorluk Osmanlı)』、マリオ・レーヴィ『闇が降りたとき何処にいたの?(Karanlık Çökerken Neredeydiniz)』、レシャト・ヌリ・ギュンテキン『落葉(Yaprak Dökümü)』。

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:21202 )