コラム:ムバーラク大統領へのアドバイス
2011年02月03日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ムバーラクへ最後から2番目のアドバイス

2011年2月03日付『クドゥス・アラビー』紙(イギリス)HPコラム面

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

不透明なエジプト情勢の中で唯一明白なのは、ムバーラク大統領が国民大多数による辞任要求を受け入れるつもりがなく、他国へ逃れ平穏な余生を送ることを拒んでいるということだ。

昨日の記者会見でアフマド・シャフィーク新首相は、政権の用心棒たちがタハリール広場の平和的なデモ参加者たちを襲って引き起こした流血沙汰について謝罪しつつ、彼自身はそれを承知していなかったと述べた。そのような事件が繰り返されることはなく、関わったものは司法の裁きを受けるとも言った。その記者会見の間中、用心棒集団による攻撃は続き、夜を徹してより凶悪になっていったのだが、そんなことは預かり知らぬというわけだ。元少将でムバーラク大統領に最も近い一人であるこの首相が用心棒集団とその背後に居る者たちを知らないと言うのなら、他の誰が知ろうか?

エジプト国民を分裂させ内紛の火種を燃え上がらせた政権は、自分たちもまた同様の憂き目に遭っていることが明らかだ。権力中枢、もしくはマフィア集団が其処此処にあり身内同士で抗争し、何の調整もなく動いている。国民にとって、特に蜂起した人々にとって大変危険なことである。

検事総長が突如現れ、政権幹部の一団に渡航禁止を申し渡した。治安を乱し破壊行為を手引きした責任を問うとのことである。筆頭は鋼鉄王アフマド・イッズ、そして元住宅相アフマド・アル=マグリビー、元内相アル=ハビーブ・アル=アーディリー。例えばアラーウやジャマール・ムバーラク、あるいはサフワト・アッシャリーフでなく、何故これらの人々なのか。政権が完全に内側から崩壊しつつあり、派閥間で粛清抗争が始まったということか?

シャフィーク少将が述べ、ムバーラク政権の多くが繰り返す最も奇妙な言葉は、エジプトはチュニジアではない、ということだ。エジプト情勢をチュニジアモデルになぞらえると、激しく否定し、ムバーラク大統領には適切な栄誉ある退場をしていただかなくては、などという。

何故シャフィーク少将がチュニジアモデルを過小評価するのか分からない。チュニジアで起きたことは勇気ある文明的な民衆革命であり、全アラブが誇ってよいことだ。抑圧と腐敗、警察国家に対する公正な闘いにおいてあらゆるアラブ国民が模範とすべきものと言える。チュニジアの人々は銃弾に立ち向かい、アラブ諸国の中でも悪辣とされる治安軍と対峙してひと月近く耐えた。その要請を通すまで革命を止めなかった。

チュニジア軍は、大統領命令に背き、銃を向けるかわりに国民の側についた時、歴史に記録される愛国的先例をつくった。大統領に国外退去まで3時間の猶予を与えそれ以降安全を保証しないと告げた時、彼らは責任と勇気をもって行動した。

ベン・アリー大統領は、そのあらゆる行い、悪しき側近たち、親族の腐敗が糾弾されるべきではあるが、メッセージをよく理解した。特別機にのってサウジアラビアへ亡命することにより、自身と国民の手間をかなり省いたのである。

エジプト大統領、国軍、大統領の取り巻きたちがこのチュニジアの例にならってくれたら、それは恥ずべきことではなく、むしろ理性的な責任ある行動で、犠牲を避け高貴なるエジプトを維持する最短の道であろう。国民の苦難も終わり、新しい清潔な流れを国の指導層に迎え、あらゆる分野で国を再興できる。

テレビで我々が見た政権用心棒たちの行いは、ムバーラク大統領に栄誉ある脱出口をつくろうという政権首脳部の試みを助けるものとは思えない。全く逆効果であろう。蜂起した人々への殺りく行為が増える毎に、栄誉ある退場という希望は消えていく。ムバーラク大統領の最後はチャウシェスクのそれに近いものになるだろう。

エジプト国民は、現政権に、大統領に、その用心棒たち、マフィアたちに、大統領任期が切れるまであと7カ月も我慢できないのだ。スライマーン副大統領は、憲法的空白を避けるためだと声明で繰り返すが、一体どの憲法にしがみつくつもりだろう。自分たちが5分で改憲できる、そうでなければ完全に撤廃することが可能な憲法だというのに。

ムバーラク大統領は、それが自身の側近たちであっても、他者のアドバイスに耳を傾けるのが苦手である。したがって、トルコで経済と民主主義のミラクルを支えたエルドアン首相による真摯なアドバイスも聞かないだろう。エルドアン首相は、民の叫びに耳を傾け変革の要請に即刻応じよと述べた。それは、エジプトを愛し、人々の感情を察することに長け、それをいかに成果として打ち出すかを知っている人物から発せられた正当な忠告なのだが。

百万のエジプト国民が、大統領に平和的に適切なやり方で退去を求めていた。それが今日では大統領の裁判と死刑を求めるかもしれない。来る数日のうちに、人々が大統領官邸に押し入り力づくで彼を引きずり出すかもしれない。その先のことには触れたくない。政権用心棒集団は虐殺を企てていた。そうでなければなぜ、外国メディアを追い回し脅しつけ、タハリール広場を望むホテルから彼らを追放したのか。

この危機をフォローする中、エジプト国営チャンネルで政権幹部が述べた、エジプトはアメリカの内政干渉を拒否する旨の発言は皮肉であった。イラクとアフガニスタンに対する戦争でアメリカと協調し、アメリカがイラクを二度までも破壊し次いで占領する手助けをしてきたのがムバーラク大統領だというのに。「ほらサッダーム、アメリカが来るぞ!」と言ったのはムバーラクではなかったか?

金曜礼拝の後、辞任を求める人々が街頭へ溢れだすのを見る時が、政権にとり真の試練であろう。軍もまたその時を迎える。現在の中立はごまかしの姿勢であり政権に資する。政権の狼どもと対決させられる国民の苦難は長引く。政権による虐殺に遭えばエジプト国民は、より強固になって蘇るだろう。より執拗に変革を要請しながら。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21354 )