エジプトがイラン軍艦のスエズ運河通航に同意したため、イスラーム革命の勝利後初めて、イランの〔軍用の〕船舶がスエズ運河を通航できるようになった。
イランはこの要請を数日前から、エジプト当局に提出していた。イラン・エジプト関係は、イスラーム革命の勝利後、革命の偉大なる創設者〔=ホメイニー〕の指示で、ホスニー・ムバーラクがシオニズム体制と協調姿勢を取っていたことを理由に断絶していた〔※〕。
〔※訳註:イランがエジプトと断交したのは1979年のことであり、ムバーラクではなく、当時のサーダート大統領がその前年にイスラエルと和平を結び、また同年にイランを追われた国王の亡命を受け入れたことがその理由〕
それから現在に至るまで、イランの軍艦がスエズ運河を通航することは一度もなかったが、しかしエジプト国民の願い通りに、ホスニー・ムバーラクが権力の座から転落し、エジプトから出国した〔※〕ことを受けて、イランはエジプト当局に対し、我が国の軍艦2隻の通行許可の発行を要請していた。
〔※訳註:ムバーラクは、カイロからは脱出したが、エジプト国内にはとどまっている〕
この要請は、カイロにあるイランの利益代表部からエジプト外務省に対して提出され、エジプトもこれに同意した。
これら軍艦のスエズ運河通航に対するイラン側の意図は、ソマリアの海賊からイラン国籍の商用船を保護することにある。イランが派遣した軍艦は、小型艦「アルヴァンド」及び護衛艦「ハールク」の二隻で、これらは紅海南部「アフリカの角」をその目的地にしている。これらの軍艦が地中海側の運河の北端にある「ポート・サイード」にいつ到着するかは、まだ不明だ。二隻はその後、シリアに向かう予定になっている。
これより前、CNNテレビはこの出来事について、1979年、つまりイラン・イスラーム革命の勝利以来、前例のないことだと指摘し、スエズ運河の某当局者の言葉として、エジプトは同国と戦争状態でないことを条件に、あらゆる国籍の船舶にも通行許可を与えていると伝えていた。
カタールのテレビ局アルジャジーラのニュース・サイトも二日前、スエズ運河の関係者らの発言としてイランの軍艦がスエズ運河を通航することになんの問題もないと伝えていた。
イランが提出した軍艦2隻の通航要請は、国際法に則ったものであり、外国メディアもこれを認めている。
(後略)
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( 翻訳者:尾曲李香 )
( 記事ID:21605 )