Eyup Canコラム:エルバカン師は、なぜ「師」といわれるのか?
2011年03月01日付 Radikal 紙

エルバカン氏を愛する人々も、彼のことを軽蔑する人々も、分かっているのは、エルバカン氏はイスラム学者ではなく、イスラムから政治モデルを抽出するために努力した輝かしいエンジニアだということである。

故人について悪く言うことは適切ではないとされる。これはイスラムだけではなく、どの宗教においても故人のことをあれやこれやと話すことは認められない。故人に対して失礼にあたったり、死への冒涜になったりするためだ。
85歳で亡くなったネジメッティン・エルバカン氏の葬儀は本日執り行われる予定である。

まだ葬儀さえ始まっていないようなときに、エルバカン氏と彼を愛する人々に対して無礼なことをするつもりはない。しかし、エルバカン氏について次々と書かれた論評を目にするにつけ、次のような問いかけをせずにはいられない。なぜ、皆こぞって、エルバカン氏を「師」と呼ぶのであろうか。ここで誤解しないで頂きたい。「師」という表現や、エルバカン氏を「師」と呼ぶことを私が問題であると考えているわけではない。

私の問いは単なる興味からである。イスタンブル工科大学で輝かしい学者であったためにエルバカン氏は「師」と呼ばれるのだろうか。トルコ政治史上、独特の個性や政治観の持ち主であったがゆえに「師」と呼ばれるのだろうか。(同じように)大学で教鞭をとっていた政治家の中で「師」と呼ばれない人々としては、スレイマン・デミレル元大統領、デニズ・バイカル前CHP党首、デヴレット・バフチェリMHP党首たちがまず思い浮かんでくるが、彼らはデミレル「師」、バイカル「師」、バフチェリ「師」とは呼ばれていない。
(「師」と呼ばれるために)必要なのは、政治的指導者であったり、教育者であったり、学生たちを育てたりすることなのだろうか。デミレル氏はエルバカン師と比べてひけをとるわけではない。デミレル氏にもトルコ政治に身を捧げた何百人という学生を育てている。

つまり、問題は教師としての意味での「師」でもなく、政治的意味でもないようだ。皆が分かっているのは、エルバカン氏を「師」と言わしめる最も重要な理由は、イスラム運動の重要な政治的肖像であったことである。しかし、エルバカン師と呼ぶ人々は、2つに分かれる。一つは、「師」という言葉を、彼の宗教的知識の豊富さに注目して尊敬の念を表すためにそう呼ぶ人々。もう一つは、「師」という言葉を軽蔑語として用い、揶揄するためにそう呼ぶ人々。興味深いのは、尊敬の念を抱く人々も、揶揄する人々も、「師」と呼ぶ背景が同じであることである。エルバカン氏を、我々の多くが「師」と呼ぶのは、(彼の作り出した)「ミッリー・ギョルシュ」と「公正なる秩序」という(イスラム的)理念のためである。さらに、エルバカン氏を愛する人々も、揶揄する人々もエルバカンはイスラム学者ではなく、イスラムから政治モデルを抽出するために努力したエンジニアだということを知っている。

従ってネジメッティン・エルバカン氏の「ミッリー・ギョルシュ」と「公正なる秩序」という理念は、支持者にとっては(エルバカン氏に対する)尊敬の念を想起する一方で、これに対し――イスラム派を含む――一部の人々にとっては(エルバカン氏を)揶揄し嘲笑する要因となった。彼を揶揄する人々も、尊敬する人々も、エルバカン「師」と呼ばずにはいられなかった。(エルバカン氏の)存命中に、誰がどの意味で「師」と呼んでいたのかを知るのは簡単だった。ネジュメッティン・エルバカン氏、及び彼の政治観を愛する人々は、尊敬という表現を用い、彼を批判し、彼に反対する人々は揶揄する目的だった。

(エルバカン氏が)亡くなった後から議論されていることを見ていると、エルバカン氏を誰がどのような意味で「師」と呼んでいるのかは、実のところ理解しがたい。「故人の冥福を祈りましょう」という規範があるのは分かっている。存命中に尊敬の、あるいは揶揄する表現としてエルバカン氏を「師」とは呼んでいなかった身としては、亡くなった後にも彼を師と呼ばないことにする。「師」という表現からあらゆる意味を取り除いた上で、心から、エルバカン氏と遺族の方々にお悔やみ申し上げる。

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( 翻訳者:石川志穂 )
( 記事ID:21677 )