日本在住トルコ人から地震レポート―日本で大地震
2011年03月11日付 Radikal 紙


東京にある、主に国際線が発着する成田空港では1万3千人、国内線の発着する羽田空港では1万人が待機している。

在東京のトルコ大使館広報担当のスィナン・キュルン事務官によると、羽田空港では711機の発着がキャンセルされ、空港は閉鎖されているという。キュルン氏によると、日本軍は、災害地域に8千人の兵士を送り込んだという。東京の交通はマヒしており、通りは車が渋滞し、どこかに自動車でいくのは不可能だと語った。

キュルン氏は、公共交通機関はとまっており、この大都心で人々は歩いて家に帰ろうと努めていると報告した。一方、東京にあるデズニーランドでは、約7万人が取り残されているという。

■トルコ人は無事

一方、アフメト・ダヴトオール外相は、トルコと国連開発プログラム(UNDP)との間の戦略環境協定の調印式ののち、 国連開発プログラムのヘレン・クラーク長官と並んで記者会見をし、日本で大きな地震が襲い、トルコ外務省としても発生直後から事態を見守っていると述べた。

ダヴトオール外相は、外務省内にこの問題を扱う特別チームの形成を命じたとし、「日本は、発展した国だ。しかし、我々もできる援助をする用意がある。本日、日本の外務省と連絡をとり、連帯のメッセージを伝える予定だ」と述べた。

現在届いている情報によると、トルコの東京大使館ではとくに被害はなく、「大使館関係者は、日本にいるトルコ国民と連絡をとっている。日本にいるトルコ国民に関し、被害の情報は届いていない」と述べた。ダヴトオール外相は、「日本国民に対し、心からのお見舞いを申し上げます」と述べた。

■「アナウンス放送で誘導された」

日本に7年間住む銀行員で映画監督でもあるエンギン・イェニドゥンヤ氏は、地震の瞬間とその後の様子を、NTV-SNBNに語った。地震の瞬間は、勤めている会社の建物の17階にいたというイェニドゥンヤ氏は、「机から、離れないようにした。館内放送でも、そういっていた。エレベータも止まっている。現在、回りではパニックはない。むしろ家が遠い人々が、今晩、どうやって職場で泊まろうかと話している。電車は止まっているので、家が遠い人の多くは、そうするだろう。電車は今晩、動かないらしい」と述べた。

イェニドゥンヤ氏は、また、社内でのアナウンスで、今晩家に帰れない人のために会社が食事をだすという放送があったという。1999年の地震のときはイスタンブルにいたというイェニドゥンヤ氏は、2つの地震を次のように語った。

「ここでは3年間、地震はなかった、1999年のときは、イスタンブルの建物の9階にいた。窓から、巨大な会社のビルがぐらぐら揺れているのをみるのは、とても怖かった。この地震はすごいものだった。」

日本人の友人と話すと、人々はまずスーパーにいって、食べ物をストックしようとしているという知らせを聞いたというイェニドゥンヤ氏は、「震源は日本の北の方で、そんなに都会ではない場所だときいて、大きなパニックはなかった」という。イェニドゥンヤ氏は、友達からメールがきて、家が壊れた、泊めてくれる?と聞かれたと述べた。

■トルコ航空機、21分前に離陸で無事

一方、日本を飛び立ったトルコ航空機は、21分差で難を逃れたことがわかった。成田空港は地震後に閉鎖されたというトルコ航空の関係者は、トルコ航空機が21分前に離陸したと述べ、次のように語った。

「日本の成田空港をイスタンブルに向けて飛び立ったTK-51トルコ航空機の出発は、14.25だった。地震は14.46だった。飛行機は定時にとびたったので、、飛行中で、夕刻20.05にイスタンブルのアタテュルク空港に到着する。定刻に飛び立ったおかげで、地震の影響をうけなかった。」

関係者によると、17.50に出発予定のイスタンブル発成田行きが飛ぶかどうかはまだ決まっていないという。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:21796 )