重体の歌手イブラヒム・タトゥルセス、そのお騒がせ人生
2011年03月14日付 Radikal 紙


頭部に銃撃を受けた歌手のイブラヒム・タトゥルセス氏は、38年前に発表したチュルキュ(民謡)「足には短靴(ayağında kundura)」で始まったそのスター人生において、数々の襲撃事件や騒動に関わってきた。
いくつかご紹介しよう:

-1981年 イズミール・フェスティバルで警察への侮辱罪で逮捕、収監された。

-1990年 コカインの一斉捜査で名前の挙がった有名人の一人だった。この事件に関する裁判では1994年に無罪が確定している。

-1990年初頭 カセット(の版権)を巡ってプロデューサーのシェフムズ・イルギン氏と争う。エティレルの別荘が放火に遭う。

-1990年 マキシム・カジノで公演中、足を銃撃された。発砲したラマザン・イェティシェンとフアト・アスランは、凶行に及んだ理由を「カセットの(版権に関する)取り決めを破ったため」と述べる。

-1991年 総選挙にあたり、母国党(ANAP)から推薦を受けられずにシャンルウルファ県より無所属で立候補。空に向けて銃を5発発砲して選挙活動を開始したが、当選ならず。

-1995年4月8日 ヒルトンホテルで催されたハサン・ヘイベトリ氏の甥の割礼祝いに出席、住宅地で発砲したため逮捕された。

-1996年 シャンルウルファ県の絨毯バザールを散策中、(タトゥルセス氏と)口論になったアフメト・トプタン氏が、(タトゥルセス氏の)甥フェブジ・タトルが発砲した銃弾を受け死亡。

-1998年8月22日 タトゥルセス氏の車を狙撃したハサン・ボラの仲間アブドゥッラー・ウチマク氏が銃で撃たれ負傷。

-1999年 スレ・チャタク氏を巡り元マネージャーのハサン・ボラ氏と不仲になる。ボラ氏のレコード会社はタトゥルセス氏の息子アフメト・タトル、弟ヒュセイン・タトル、(タトルセス氏の)部下により襲撃を受ける。

-2000年11月6日 (タトゥルセス氏の)運転手の車から無許可の銃2丁が発見されたため、手錠をかけられ逮捕される。

-2000年11月 退役パイロットヌスレト・エルチュルク氏を恐喝した容疑に関して共和国検察当局にて釈明。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:21820 )